「…見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。…『…お弟子たちに、霊を追い出すよう願ったのですが、できませんでした。』…父親は言った。『…もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。』するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』…汚れた霊をしかって言われた。…するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。…」(マルコの福音書9章14~29節)
今日開いた箇所で、イエスは悪霊の働きに苦しめられている息子を癒やすのですが、この箇所で私たちが癒やされ、霊的解放を頂くための大切な3つの秘訣が記されています。
1. 人には不可能がある
この世の中には、多くの人々の意見があり、1つのことに対していろいろな解決方法があります。しかし、人を信頼するだけでは、問題は解決できないことを認めましょう。
この物語で霊的な苦しみを抱えている息子を持つ父親は、イエスのうわさを聞いてイエスのもとに来ました。しかし想像してみてください。今ならば新聞やニュースで正確な情報を容易に得られますが、2千年前の当時、人から人へと口伝えでしかニュースが伝わらなかった時代ですから、イエスのうわさも本当にわずかなもので、いったいどんな人物か、どのように癒やされるのか分からないまま、彼はイエスのもとを訪れたのです。
そこでは、弟子や律法学者たちが、病気の息子のことを聞いてそれぞれがああだ、こうだと意見を述べ始めます。弟子もイエスの真似事のように祈ったけれども、息子の病気は治らなかったのです。
私たちは生活の中でいろいろな情報を当てにしますが、世の中のさまざまな知識や解決方法、人の力では、どうしても解決できない問題が確かに存在するのです。人には不可能があるのです。
2. イエスを世の方法と並列しない
イエスは、弟子や律法学者が議論しているのを見てあきれ、息子を連れて来させます。この父親は、医者だけではなく魔術的なものや、霊験あらたかな場所に行き、何が入っているのか分からない薬も試し、いろいろなことをしたでしょう。そして父親は、イエスもその治療法の1つと考え、「もし、おできになるものなら」と言ったのです。
今までと同じく、できなければまた次に行くだけだったでしょう。もしここで、イエスに言われたとおりに、イエスを信じることができなければ、息子は一生癒やされなかったのです。イエスを世の解決方法と同等に並べて考えてはなりません。イエスが単にこの世の選択肢と同じものだったなら、今まで同様、不可能で終わったのです。
3. イエスは本物の救い主(ぬし)、癒やし主
私たちが今日お祈りする神は、真の救い主であり癒やし主です。特別な方にお祈りするのです。20節に「その子がイエスを見ると・・・ころげ回った」と記されていますが、これは悪霊がイエスを見てパニックになったからです。
つまりイエスがおられるところには、霊的な空間があり、そこに触れる者たちは皆、霊的な力を体験するのです。イエスの存在は圧倒的なもので、不可能を可能にする力があるのです。解決はイエスにあり、イエスだけが本物の救い主、癒やし主だということを忘れてはなりません。
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