「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。・・・もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。・・・もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦(ゆる)し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。・・・」(第一ヨハネの手紙1章5~10節)
先日、施設で19人の障害者が殺害されるという悲惨な事件が起こりました。この犯人は精神障害者で、事件を起こす前に2週間、措置入院をしていました。しかし患者の人権を守るということで退院し、その後、事件が起こってしまいました。現代は常に、人権を守ることが重要視されますが、今回は、この「人権を守る」ということが、事件を引き起こす原因にもなったという側面を知らなくてはなりません。
私たちには基本的な人権が与えられていて、幸せになる権利があります。しかし、天地宇宙を造られた神の権威を抜きにしては、それもバランスの悪い、むなしいものとなってしまいます。
神の御心に自分を映し出して、神が与えた人としての正しい生き方ができているか確認しましょう。そうしないと、周りの悪に染まり、神が与えてくださった幸せの道からはずれてしまいます。
独善的になっていませんか? 悪魔に付け込まれ、罪の力に影響されませんように。神と向き合い、交わりを持ち、神に清められて歩むことを選びましょう。
1. 自分の心をチェックし闇に気付く
「神は光であって」(5、6節)。私たちはクリスチャンです。神を知って生きているはずです。でもどこか心の中に、光とは正反対の闇がないでしょうか? 神は光であり、暗いところが全くありません。善であられ、命です。
その光に私たちは本当に照らされているでしょうか? どこかで影を作っていませんか? 自分には罪はないというところに罪があります。自分の心が神の光に向かっているか、それとも背を向けて闇を作っていないか、自分で吟味しましょう。
2. 光を選びますか? 闇を選び続けますか?
自分が神に背を向けていることに気付いたなら、自分に問い掛けてください。光か、それとも闇を選び続ける生き方をするのか?「私たちも光の中を歩んでいるなら、・・・御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(7節)。
人の欠点を批判し攻撃するのではなく、交わりを保ち愛し合いましょう。主が十字架の血潮によって私たちを罪から清めてくださることを感謝し、主に向かいましょう。私たちは弱く、すぐに心に影ができますが、そのたびに、光に向かおうではありませんか。
光によって殺菌されなくてはいけないのは、家の布団だけではなく、あなたの心のひだまで清めていただかなくてはいけません。
3. へりくだる心を忘れない
私たちは、正しく、自信と喜びをもって大胆にチャレンジする歩みをしたいものです。しかし、どんなに強くてもへりくだる心を忘れてはいけません。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、・・・」(8、9節)。私は正しい、赦されなければならないような罪は犯していないと言うのではなく、主よ、私を清めてください、クリスチャンとしてさらに成長させてくださいと祈りましょう。
今まで自分でも気付かなかった闇の部分も、イエスによって清められ、救われることを願いましょう。「キリストは神の御姿であられる方なのに、・・・」(ピリピ2章6、7節)。イエスは自らへりくだられて、ご自分の命まで捨てられたお方です。
この夏の日々、みんなと楽しい時間を持ち、互いをしっかり愛し、神に喜ばれる事柄を生み出していきましょう。
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