労働への聖書的原則適用の秘訣
前回までに、この世の苦しみの多い仕事としての労働を、神の特別恩恵のある祝福された労働に回復させるためには、罪を解消させること、すなわちキリストへの信仰を持ち、救われることが必要であると述べた。しかし残念なことは、既に信仰を持ち、救われて罪が赦(ゆる)されている多くのキリスト者のビジネスマンが、この世的な労働の中に埋没しているように思われることである。
私は、キリスト者が労働において実を結ぶためには、神の御心に添った本来の労働に立ち返ること、すなわち労働へ聖書的原則を適用させることが重要であると思う。では、どのように聖書的原則を適用させればよいのであろうか。牧師としての体験から、その秘訣について以下に触れたい。
労働への明確な召し感を抱くこと
キリスト者のビジネスマンは、神の願われる本来の労働に立ち返り、大いなる祝福を受けるようにと、神が自分を労働に召しておられるということ、そして自分は神によってその労働に召されているということを、深く自覚することが大切である。私は牧師として召し感が弱くなったときに、燃え尽き症候群のような状態に陥った。同じようにビジネスマンは、労働への召し感が弱くなるときに、神の御心に添った本来の労働からかけ離れていくように思われる。
神の召しとは、神の人間への呼び掛けである。それは人間を個性的にし、人間に栄光を与えるものである。現代の生きがい論が人間の主観的・相対的レベルでの問題であるのに対して、神の召しは人間の超主観的・不動の生きがいを与えるものである。従ってキリスト者は、この神の召しに対して敏感に反応し、応えていくことが必要である〔3〕。
召しには、大別して2つある。1つは神に代わって行う世界管理の業の一環を担う労働への召しで、今1つはキリストにおいて救われた者として、キリストを証しし彼の福音を宣べ伝える証しと宣教への召しである〔10〕。
全てのキリスト者は、本来全て神からこの2つの召しを受けていて、それぞれ信仰に応じ、分に応じて、与えられた労働に励み、また救い主を証しし福音を宣べ伝えるという、神から与えられた務めに献身すべきなのである。
牧師や伝道師の召しは、この2つの召しが重なって、証しと宣教への召しに集中したと考えることができる〔10〕。明確な召しを持つ牧師、伝道師が必要なことは、昔も今も変わりはない。しかし同じように、召された教師、献身した公務員、遣わされた会社員、また神からの使命を自覚する主婦が必要なのである〔10〕。
このような、神に召され、与えられた務めに身をささげるキリスト者を通して、神の栄光が現され、彼を地の塩としてこの世が保たれるのである。そして、彼が放つキリストの香りに引き付けられて、多くの人間がキリストのみもとに導かれてくるのである〔10〕。
職業の選択についても、別個の召しとして求めるものではなく、救いへの神の全体的な召しに対する、私たちの応答の重要な一部とすることが重要である〔2〕。宗教改革者たちは、職業を召しに応答する場として考えた。これは、今日、私たちが安易に使っている職場以上の意味を持っている。
召しという言葉によって、神に対する奉仕としての労働の意味が強調され、場という言葉により、キリスト者が置かれている状況の中で、神がその人間を用いてくださることが意味されているのである〔4〕。
宗教改革によって、神の召しは、宗教的領域にとどまらず、家庭や、畑や、職場の労働にまで広がり、全てが神に対する奉仕として理解されることとなった。そこでは職業も、生きるための仕事に終わらず、神に召された尊い使命となったのである〔4〕。
そのように神は、キリスト者一人一人に、彼にふさわしい労働を備えて、そこに彼を召されるのである。その労働は、神が必要とするが故に、恵みをもって備えられたものである。
人間が自分の意思と判断で選び取るものではなく、神が備え恵みを持って召してくださる労働なのである〔10〕。しかし、人間は主体性を備えた人格的存在として創造されたので、神は人間に労働を強制されない。
人間が主体的に応答するように、召してくださるのである。神はキリストを信じる信仰によって、罪から解き放たれ新しくされた命に、自分自身を燃え立たせて励むことのできる、意義のある労働を与えてくださるのである〔10〕。
このように、全ての労働は神の召しであり、神からの使命であるという召しに関する見方は、キリスト者にとって大変重要である。キリスト者のビジネスマンはこのことを覚え、神の御心に添った本来の労働に立ち返るために、召しに対して敏感に反応し、応えていくことが必要である。
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(参考並びに引用資料)
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