労働への召しに献身すること
これは大きくは、神の御心にそった本来の労働を真心から、また熱心に行うということである。より具体的には労働の場において、神の視点から物事を見ること、喜んで神に従うこと、神が与えられる責任に対して忠実であること、自分で頑張ろうとするのではなくキリストに委ねること、恵みに立った労働を行うこと、そしてこれら全てを通して神を証しすること、などを意味する。
パウロがⅠコリント15:10で「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです」と述べている通りである。
ただしそのためには、神との関係が密であること、また十字架の体験を通してキリストへの信仰が確固としたものとなっていることが不可欠である。しかし、何かをなすこと《doing》が主体のビジネスマン生活だけでは、神との関係を密にすることや信仰を成長させること《being》はなかなか困難である。
従ってキリスト者のビジネスマンは、1週間に1日を聖別して、キリストと共に過ごすという教会生活をきちんと守ることや、キリストの御身体共同体なる教会での礼拝や交わりや奉仕という活動に積極的に参加することなどを通して、信仰を感情に左右されない確固としたものに成長させ、キリストの恵みを十分に受け取ることが重要である。
ただ、教会生活は習慣化(マンネリ化)すると、いくら教会に通っていても信仰の成長や力にならないことを覚えることも大切である。私自身そのことを、牧会の経験を通して痛感させられているからである。
またビジネスマンは、1週間の大半を教会以外の場所で過ごすので、教会以外のどこにいても神を礼拝するという心構えを持つこと、またいつも神を中心に据えるという努力をすること〔6〕、さらに神への従順や忠誠を養うことなどが不可欠である。
そのためには、この世と調子を合わせることなく、いつも心の一新によって自分を変え、神の方に向きを変えることが大切である。ローマ12:2に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」とある通りである。
多くのキリスト者のビジネスマンがこの世と調子を合わせ、神の願われる労働とはかけ離れた、この世の労働の中に埋没しているように思われる。もし私たちが、そのような労働をしているとするならば、〝神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る〟とあるように、この世の労働の中に埋没していることを悔い改め、心の一新によって自分を変える必要がある。
そうする時に、聖霊によって神の召しを明確にわきまえられるようになり、神が願われる本来の労働に目が開かれ、労働における神の使命に献身することができるようになる〔10〕。そして労働の場においても礼拝をささげ、神と隣人に仕え、たとえどんなに小さな労働であっても、そこで神による世界管理のわざの一環として用いられるという思いを持つことができるようになる〔10〕。
また、神の栄光を表すという思いを持ち、喜びと感謝を持って労働を行うことができるようになる。さらに労働の場においても、礼拝をささげることができるようになる。
礼拝は教会だけで行われるものではなく、日々の生活や生き方の全体に拡張されなければならない〔23〕。全ての人々が忙しいと言って、世のことに埋没している中で、御言葉を慕い求めて、その中に浸ることが礼拝である。世の人々がみんな不正を働いたとしても、自分だけは神の御言葉の前に正しく立つこと、そのようにこの世に調子を合わせないことが、まさに礼拝なのである〔23〕。
私たちの信仰の先輩であるピューリタンたちは、礼拝をささげる心で商売し、礼拝をささげる心で教鞭をとった。礼拝をささげる心で、全ての社会活動を行った。
私たちは、教会では礼拝をささげておいて、外では礼拝と関係のない二元論的な生き方をしているということがないだろうか。教会生活と外の生活とを、別々の基準で行っているということがないだろうか。神は教会の内だけではなく、外でも礼拝者として生きることを願っておられる〔23〕。
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(参考並びに引用資料)
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