信仰による仕事としての労働の回復
前述したような、罪のために苦しみの多いものとなっているこの世の仕事としての労働を、神の願われる祝福されたものに回復させるにはどうすればよいであろうか。そのためには、罪を解消させることが不可欠である。しかし残念なことに、人間は誰一人として自分の犯した罪を、自分で解消させることはできない。
唯一の方法は、人間の罪の罰を代わって受けるために、十字架上で身代わりの死を遂げられたキリストを信じることである。人間はそのことによってのみ、犯した罪が赦(ゆる)され、罪を解消させることができる。そのことを、聖書の御言葉から見ていきたい。
創世記3:9には「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』」とある。神によって最初に創られた人間のアダムとエバは、サタンである蛇にそそのかされて、神が取って食べてはならないと言われたエデンの園の中央にある、善悪を知る知識の木の実をとって食べ、罪を犯した。
その罪の故に、彼らは恥ずかしさと恐れとを抱いて神から身を隠した。その時に、神が彼らに言われた言葉がこの創世記3:9の御言葉である。この御言葉から、人間を創造された神は、失われた人間を捜すためにご自身の方から声を掛けられる、愛に溢れるお方であることが分かる。
また、創世記3:15には「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」とある。この御言葉は、神の独り子であるキリストが地上に降りて来られ、サタンに対して勝利をされることを予表したものである。
さらに、創世記3:21には「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」とある。この御言葉は、アダムとエバの子孫である全人類の罪を贖(あがな)うために、キリストが十字架にかけられ、受難の死を遂げられること、また復活されること、さらにキリストを信じる者には、神が義の衣を着せられることを予表したものである。
これらの創世記の御言葉による予表は、約2千年前に神の独り子キリストが肉の体をまとい、人となって地上に降りて来られ、十字架刑によって殺され、3日の後に実際に墓からよみがえったことによって成就した。そしてそのことによって、人間の罪が解消されるという、素晴らしい救いへの道が開かれた。
その結果、人間が神との関係を回復するためには、ただ自分の犯した罪を悔い改め、キリストの十字架の死による罪の贖いによって罪が赦されることを信じること、すなわちキリストへの信仰を持つことでよいこととなった。
キリストへの信仰を持つとき、コロサイ3:10に「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」とある通り、人間は神のかたちを持つ者へと回復し、またテトス3:5に「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」とある通り、神と新しい霊的関係を持つ者へと新しく生まれるのである。
その結果、神との関係が回復し、労働も神の願われる本来の姿へ回復する。また神の特別恩恵による大いなる祝福を受け、労働を喜ぶことができるようにもなる。
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(参考並びに引用資料)
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