仕事としての労働が苦しい理由
神が願われる労働が、どんなに素晴らしいものであるかについて述べてきた。しかし、この世の仕事としての労働は、多くの場合において苦しい状態となっているのが実情ではないかと思われる。ではなぜ仕事としての労働がそのような状態になってしまっているのか、その理由を聖書の御言葉から見ていきたい。
創世記3:1~6には、私たち人間の祖先であるアダムとエバが、サタンである蛇に欺かれ、神に対して不信感を持ち、罪を犯し、悔い改めず、堕落してしまったことが記されている。この罪が神と人間との交わりを失わせ、そして神との霊的な交わりの枯渇が、世界を管理する力を人間から奪い去ってしまった〔6〕。
また創世記3:17に「また、人に仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない』」とあり、ここに罪にある仕事の状態が示されている。
土地は罪の故にのろわれてしまった。土地は神の祝福から切り離され、悪魔の支配するものとなった。もはやエデンの園の神の祝福の原則(無競走の状態)は、失われてしまった。この御言葉から、仕事に伴う労苦や困難は、堕落の結果であることが分かる。
罪の故にその仕事は、もはや神が意図された純粋な喜びではなくなり、仕事を豊かさよりも苦痛と思うようになった〔2〕。苦しんで食を得なければならないとあるが、これは人間が仕事の主体であるよりも、客体として扱われるようになったこと〔2〕、さらに仕事が搾取と抑圧の手段となったことを意味している〔2〕。
仕事は厳しい強制力と支配、そして労苦に対する見返りとしての物質的な報酬という、因果の鎖につながれる状態となり〔10〕、仕事が歪んだ形で人間を支配するようになってしまった。
創世記3:18に「土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない」とある。人間のうちに神の形が明確であったときには、嬉々として服従していた自然が、人間の支配に反逆し、地はいばらとあざみを生じさせた。
収穫を求める人間の努力には必ず、好ましくない副産物が伴うこととなった〔6〕。現在の環境問題は、まさにそうである。野の草を食べるとあるが、このことは豊かに与えられないから、人間は努力しなければならない状態、そうしなければ滅んでいく状態、そして競争する状態になることを象徴している。
人間は努力によって生産性を上げようとし、効率を上げようとした。その結果、競争が高くなり、人間関係は利害関係の中に埋没するようになってしまった。
創世記3:19に「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」とある。
人間は仕事を競争して、戦って、額に汗して行う状態となった。そして、そのように額に汗して仕事を行っても、結局は朽ちる、死ぬという状態に置かれるようになってしまった。
人間は創造の時、神の形に似た栄光あるものとして造られたが、人間が罪を犯したときに、その栄光は去り、死が入ってきたのである。そして、死を避けることができないならば、お金をもうけて死ぬまでの限りある人生を大いに楽しもう、そのために頑張って働こうという、物質主導の仕事観を生み出したのである。
このように、この世の仕事としての労働は、人間の罪の故に、苦しいものとなってしまったこと、また、神の願われるものではなく、自分の願うものにすぎなくなってしまったことが分かる。
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(参考並びに引用資料)
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