子どもたちの問題は一人一人皆違っています。わが家の息子、7歳になるケントは「物なら何でも取っておく」子どもでした。何か1つの物にこだわりを持って取っておくのではなく、手当たり次第、何でもしまい込んでおくのです。ですから、彼がしまい込んでおいた物に対して母親が断固とした態度に出る日が、いつかはやって来るはずです。子育て経験者の母親ならどなたでも、このような場面を思い起こすでしょう。
実際、そのような日がやってきました。息子は、しぶしぶではありますが、彼が集めた貯蔵品を次々と、自分でごみ箱に詰め込み始めました。ガラクタと言える大きな物から、役に立たない物まで。彼の収集品を片付けている様子を見ていた私は、ほっとして、どんなに爽やかな気持ちになったことでしょう。一方、作業を終えた息子はごみ箱を抱えて外へ出て行きました。空っぽになったごみ箱は、中身を焼却炉まで持ち運び、息子の片付け仕事がついに完成した、という証拠になりませんか。
しかし、その夜のことです。私が、4歳の娘パーミーを寝かせつけていたときに思わぬ物に目が留まりました。娘の整理ダンスの引き出しから見覚えのある物が、幾つか顔を出しているではありませんか。どれもこれもが今朝、息子が捨てたはずの物と同じ物でしたから、私は自分の目が信じられませんでした。そして、明日の朝、息子が集めた宝物を捨てることで、もう一度話さなければならないと思い、うんざりした気持ちがこみ上げてきました。
ところで「物」とはいったい何なのでしょう? お金をかけた物には愛着心がありますね。しかし、お金をかけたからといっても、それに見合った価値が物に備わっているとは限りません。物の虜(とりこ)になりやすいのは子どもだけでしょうか。いいえ。「物への執着心が問題である」と気付いている大人も、クリスチャンも大勢います。
「物」を持っていれば安心。あるいは、慰めのよりどころを「物」に求めていませんか。私たちの心がこの世の「物」にしっかりと結び付けられているために、神様の方に心を向けにくくなっています。
私たちは宣伝広告が溢れている中で日々を過ごしていますから、もっと物が欲しい、もっと物を手に入れたいという気持ちに拍車がかかるのです。物を持たないで、世間並みの生活を送ることは明らかに不可能です。それに、取得したい物は簡単に手に入ります。このように、物に振り回される時代に生きている私たちですから、次の聖書の御言葉を心して読んでみましょう。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません」(マタイ6:19、20)
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)
この聖書の御言葉と、私たちが何に価値を求めているかを照らし合わせてみたらいかがでしょうか。目に見える物に価値があると思い続けていらっしゃいませんか。
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【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
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