12章 濃霧に閉ざされて
キッチンの窓越しに日の出を見るのが日課になっています。今朝もキッチンに行き、山影から太陽が昇る様子を満喫しようとしました。天候が許せば、日の出の醍醐味は数分間続きます。身が引き締まるような美しさ、崇高さは、私たちの目で見る最も荘厳な光景と言えるでしょう。色合いの微妙な変化にも、私はいつも魅せられています。
しかし、今朝は窓の向こうには何も見えません。深い霧が立ち込めているために、霧が窓を越えてこちらまでやって来て、ひんやりと私を包み込みそうです。いつも私をうっとりさせた日の出には、厚いカーテンが下ろされたように思えます。そればかりでなく、濃霧は目の前にあるサン・デッキの手すりまで覆い隠しています。
山の向こうに日の出が見える日々は、まさに「私は山に向かって目を上げる」ことになり、 神をほめたたえます。しかし、今日のように霧で何も見えない日もあるのです。
濃霧に囲まれたときに、どうしたらよいでしょうか。私たちには車を運転していたときの思い出があります。深い霧の中では、車を道路の片側に寄せ、霧が晴れるのをじっと待ちました。これ以外の解決はありませんでした。
濃霧の中では何も見えません。先を見通すことも不可能です。光があれば、さ迷う人を連れ出すことができます。光は暗闇に入り込み、方向を指し示すことができるからです。しかし、先が見えるように霧を貫き通すものは何もありません。
クリスチャンも例外なく人生の闇を経験します。主はその闇の中でも、いつも共にいてくださいます。そして、こちらが求めれば、光の道筋を示そうとしてくださいます。
しかし、いつかは立ち往生するほどの濃霧に見舞われることもあるでしょう。閉ざされたときは、光がどこにも届かないのです。にっちもさっちもいかないのですから、前進も後退もどちらも危険です。
そのような時は、「待つように」と主が計画してくださっているのだと思ってください。もう少し忍耐して主を信頼してはいかがでしょうか。自らの思いで動かないほうがよいのです。主の御守りの中に自らを委ね、霧を晴らしてくださるときを待ちましょう。
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)
<<前回へ 次回へ>>
*
【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇