10章 輝きが失せるとき
一時的ではありますが、家に三つの浴室がある生活をした時期があります。日本にいたときは、表面がザラザラしたコンクリート仕立ての浴槽でしたから、その後で、こちらのなめらかな浴槽をピカピカにする仕事はとても簡単で、きれいにする喜びがあったように思います。
しかし、苦にならないと思っていた掃除も、ひどく嫌な仕事になり得るのですね。今までに想像したこともありませんでした。今日などは全く気が重く、磨いてピカピカにする気さえ起こらなくなっています。
浴槽や流しが幾つもあるために、ピカピカにしておく魅力を失ってしまったのでしょうか。いいえ。魅力が失せたのは、美しい浴槽に見慣れてしまって、平凡なものになったからです。
よく考えてみると、物質に価値を見いだす生活に取り囲まれている私たちは、これと似たような経験をしているでしょう。新しい帽子、新車、新しい家、どれも物としてはそれほど違いがありません。
新しい地位もそうです。新しいものは、それ自体やがてその輝きを失い、魅力もなくなるのです。さらに、物は、時が来れば時代遅れになるでしょう。形式が古くなれば、それに伴う良さも認められなくなります。
私たちの生活の目標は、時代の波に乗り遅れないようにすることでしょうか。人生をレースに例えるなら、そのような生き方は、無我夢中の人生を走っているといってよいでしょう。
聖書は私たちが「主に初めて出会ったときの感動」を忘れて、主から離れてしまわないようにと教えています。しかし、その感動も薄れてくるときが来るかもしれません。
実際に、私たちを取り巻く絶え間ない変化に心を奪われて、主に顔を向けず、御言葉に絶えず耳を傾けなかったら、主から遠ざかることは避けられないでしょう。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません」(ヨハネ15:4)
昨日も今日も、これから先もイエス様が変わることはありません。全てが変わっても、イエス様は絶対に同じです。主の御名に栄光があるように。
<<前回へ 次回へ>>
*
【書籍紹介】
ミュリエル・ハンソン著『蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ』
読んでみて!
一人でも多くの方に読んでいただきたいエッセイです。聖書を読んだ経験が有る、無しにかかわらず、著者ファミリーの普段着の生活から「私もそのような思い出がある」と、読者が親しみを抱くエッセイです。どなたが読んでも勉強になります。きっと人生の成長を経験するでしょう。視野の広がりは確実です。是非、読んでみてください。
一つは、神を信じている者が確信を持って生きる姿をやさしく、ごく当たり前のこととして示しているからです。著者は、日本宣教のため若き日に、情熱を燃やしながら来日しました。思わぬ事故のためにアメリカへ帰らなければなりませんでしたが、生涯を通して神への信頼は揺るぎませんでした。
もう一つは、日常の中に働いている聖霊のお導きの素晴らしさを悟ることができるからです。私たちの日常生活が神様のご意志のうちに在ると知ることは、安心と平安を与えるものです。
さらに、著者のキリスト者生活のエピソードを通じて、心が温まるものを感じます。私たちの信仰生活に慰めと励ましが与えられます。信仰が引き上げられて、成長を目指していく姿勢に変えられていく自分を発見するでしょう。
長く深く味わうために、急がずに、一日一章ずつでもゆっくりと読んでみてはいかがでしょうか。お薦めいたします。
ハンソン夫妻の長い友 神学博士 堀内顕
ご注文は、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇