私の心にアフリカへの願いをもたらした下川神学生は、夜は深夜まで働き、朝は四時に起きて、生駒聖書学院での猛声祈祷と授業に出席していた。
そのころ同じ教会の中村信一兄弟と知り合い、中村兄弟もまたアフリカの虜となった。二人には資金も財産もなかったが、夢とロマンはあった。自己の栄達や財産を殖やす夢ではない。アフリカの子どもたちを救おうという壮大な夢だった。
まず水だ。水がよければ乳幼児の死亡率も低下し、衛生状態も良くなるはずだ。二人は水を浄化し、最良の飲料水を提供するために、祈りつつ、水質浄化の機械を開発することにした。
やがて彼らは、ついに水質改善機の開発に成功した。そして第一号機をそのままケニアに送ることに決め、大使館の協力も得て、キスムに設置することにした。
すべてが順調に見えた。ところが思わぬところから問題が起こった。彼らの所属していた教会がアフリカ宣教からの撤退を決めたのだ。下川神学生も、個人的にアフリカの働きを続けることだけは認めるが、そうするなら生駒聖書学院をやめるよう、決断を迫られた。あと七カ月で卒業という、三年生の二学期初めのことだった。
彼は牧師になるよう、神からの召命を受けていた。同時に、アフリカのためにその道を選んだのだ。どちらも捨てることはできなかったが、彼は牧師の指導に従うことを決断し、学院を中退する道を取ることにした。幸いなことに彼の献身への決心は変わらず、それから五年後、改めて学びを全部終え、誇らかに卒業の時を迎えた。神のなさることはみなその時にかなって美しく、どんなに辛く厳しい冬の後にも、春が来るように祝福が備えられている。
彼らのアフリカの夢は現実となった。同時に彼らの会社、株式会社TRPは、数年で売り上げが一〇〇億を超え、ベンチャー企業として、不況の嵐を乗り越え、全国はおろか世界に向かって飛躍する会社となっている。下川牧師は専務としての激務を果たすとともに、大阪市平野区の一等地に教会堂を完成し、ユニークな伝道を展開する牧師として活躍している。
もちろん、彼の長年の夢だったアフリカ・プロジェクトも着々と進んでいる。一九九六年には、私も協力して、MFA(ミッション・フォー・アフリカ)を設立した。MFAは「アフリカに水を、そして愛と光を」をスローガンに掲げて、いくつかの事業を展開している。
最初のプロジェクトは、アフリカの水を安全な飲料水に変えるウォーター・プロジェクトである。また孤児院建設プロジェクトとして、一九九六年にケニアのビクトリア湖のほとりのマンブレオ村に「MFAパラダイス」という名の孤児院を建設し、三十一名の子どもたちを養っている。夢はアフリカ全土に二五〇のパラダイスを建て、安全な飲料水があり、教育や職業指導もでき、自立してやっていけるコミュニティーを広げていくことである。食糧プロジェクトは、トルカナへの継続的な食糧支援を続けている。アフリカの飢えを少しでも緩和できれば幸いである。ワークショップ・プロジェクトは、職業訓練所を作り、現地の自立を支援することで、現在洋裁教室を建て、土崎美代子宣教師を派遣している。養鶏もすでに始まり、やがては木工や鉄工にも拡大していく計画である。教育プロジェクトでは、すでに幼稚園教育を始めており、八十名の園児が学んでいる。宣教プロジェクトも、すでに五つの教会を建設した。やがては神学校を設立し、牧師、宣教師や指導者を養成することを夢見ている。
現実を見れば問題は山積している。孤児院の子どもたちが卵を食べられるのは、せいぜい二週間に一個である。また病気になっても自動車がなく、病院にも行けない。せめて中古車でもいいから欲しいと祈っている。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)