信州からこんにちは、ちいさな絵本屋ノエルです。
今回の絵本は・・・
『さっちゃんのまほうのて』
たばたせいいち・先天性四肢障害児父母の会 共同制作 偕成社
(『さっちゃんのまほうのて』より)
ひろくん や さっちゃんのことを思い出しました。保育園勤務時のお話です。
ひろくんは、ダウン症で年長さんになってもまだおむつが外せなかった。
(大も小もパンツにしてしまう)
担任はおむつ替えが大変そうだったが、時折おんぶをせがんでいる大きなひろくんを
おぶってあげていたりして、よく面倒をみていた。
ひろくんは、いつもにこにこして、誰にでもやさしかった。けんかするということはまるで知らないようだった。
そして、そのクラスはみんなが、「ひろちゃん、ひろちゃん」と言っては、輪の中に入れたり庇ったりしてあげていた。その様子はとても自然だった。
ひろくんがそこにいることによって、まだ幼い子どもたちだけど、仲間意識が芽生えていったのだろう。障がいがあるなしは関係あったのだろうか?
他のクラスの子には、ひろくんに対する思いが特別感じられないように思えた。
担任もそうだが、いいクラスに成長していると感じた。
先生もひろくんも今どうしているかな~
私はその頃、さっちゃんという発達遅滞の子の担当だった。
その園を退職してからしばらくたったある日、さっちゃんの母親から電話があり、夫が急死したとの知らせだった。(大型店の駐車場で車の中で亡くなっていた。後に病死と判明)
私にすぐ電話してくるとは、母親自身も発達遅滞の障がい者でひどく混乱したのだろうか?
夫はだいぶ年が離れている。さっちゃんの弟も障がい児だった。
家族が住むアパートへ行く。そこは物であふれかえった部屋だった。玄関から足の踏み場がないほどに。
そこで葬儀に伴い部屋の中の物を分別して、リサイクルショップに持っていくなどお手伝いした。
近くの教会へも紹介した。
しばらく一緒に集ったが、残念ながらその教会ではつながることができなかった。自由奔放な彼ら(たぶん嬉しくてはしゃいだのだろうが)を理解して忍耐し受け入れてくれる場所ではなかった。(宣教師家族主導)
私たちは、あのひろくんのクラスのみんな・・・純粋な小さい子どもたち・・・
キリン組さんを見習わなくてはならないと思う。
そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
(マタイ19:13~15)
ぼくのこれはまほうのて?まえあし?
イエスさまの手はやさしいね。
◇