私たちの誰もが誘惑に直面する。そして、もし誘惑が来たときに屈してしまえば、誘惑は必ずその人に大きな打撃を与える。誘惑のわなはずる賢く巧妙で、どんな人でも捕まってしまえば、囚われ、深みにはまっていくという構造になっている。
しかしながら、神は全てのクリスチャンに警告と脱出の方法を備えてくださっている。神は、無力な私たちを見捨てるようなことはなさらなかった。神は私たちに、死からキリストをよみがえらせたのと同じ力を持つ聖霊を残してくださったのだ。
これらのことを知った上で、私たちは、自分自身が悪魔の策略に引っかからないよう、最善を尽くさなければいけない。では、誘惑と闘うことができるようになるために知っておくべき5つの聖句を見ていこう。
1. 誘惑の源 ヤコブ1:13~15
誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
2. 悪事に対し拒絶する力 テトス2:11~13、ヤコブ4:7、8
実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。
3. 私たちは罪に既に死んでいる ローマ6:1~4
では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼(バプテスマ)を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼(バプテスマ)を受けたことを。わたしたちは洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
4. キリストにある自分のアイデンティティー ガラテヤ5:24、25
キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
5. 私たちの選択の自由の使い方 ガラテヤ5:13
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。