1941(昭和16)年12月8日。突然ラジオは、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃したニュースを伝えた。いよいよ太平洋戦争の始まりである。日本国内は異様な熱気に包まれ、右翼団体が力を伸ばしてきた。
「むすび会」や「みくに会」は賀川豊彦の平和主義を嘲笑し、攻撃を加えた。ある評論家は彼のことを反戦主義の売国奴と非難し続けた。
「賀川を殺せ! 彼の唱える隣人愛は国を売るもので、国体の本義に反するものである」。街頭にはこのようなビラが貼られていた。軍部当局の彼に対する監視は一層厳しくなり、彼の著作や小説の出版を引き受けてくれる所はどこもなくなった。
本土の空襲はますます激しさを増し、東京には次々と爆弾が投下された。彼が長年にわたり力を注いできた「イエス団」の施設も「本所キリスト教産業青年会」も「四貫島セツルメント」も、そしてわが子のように大切に育ててきた「江東消費組合」ほか幾つかの生活協同組合もことごとく焼け、多くの人が死んだ。
賀川は家にとじこもり、ひたすら祈りつつ、やがて来るであろう神の裁きをじっと待っていた。
1945(昭和20)年8月15日。賀川の予想通り日本は敗戦。そして、戦争が終わった。見渡す限りの焼け野原の中で、国民は心のよりどころをなくしていた。
8月26日。賀川は東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこおう)首相の招きを受け、首相官邸を訪問した。首相は彼に重要な相談をもちかけた。
「今や日本の道徳は地に落ち、人心はすさみ、誰もこれを救う力がありません。外国人への敵対心と憎しみを取り除かないとポツダム宣言の発表ができないのです。世界平和を目指して諸外国と日本を結ぶために活動する資格のある者は、あなたをおいて他にないように思われます。そこで人心を新たにするために、内閣に参与制度を作ることにしました。ぜひあなたも参与になってください。そして、どうしたらいいか、意見を聞かせてください」
賀川は承諾して官邸を出た。それから、日本基督教団に出向き、教団としてどう行動するか話し合うことにした。その時、教団主事の木俣敏(きまた・びん)がこう提案した。
「早急に国民に呼び掛けて、キリスト教徒もそうでない者も1つになって、過去における生き方、考え方を反省し、ざんげをする運動を起こしたらどうでしょうか」。賀川はこの考えに賛成し、教団の役員もこぞって賛成の意を示した。
「ざんげ運動ですって?」。東久邇宮首相は驚いた顔をした。
「そうです。まだ戦争が始まらない頃、ある有名な議員の方が来られて、日本の軍隊は世界最強だと言われました。私はその時、日本があたかも聖書で語られている放蕩(ほうとう)息子のような気がしたのです」
「日本ほど恵まれた国はありません。豊かな作物、温順な気候、他国の侵略を受けにくい地形。それなのに、いつの間にか日本は平和に慣れきって、ぜいたくになり、富める者は貧しい者を搾取し、資本家と結びついて一大工業国となりました。しかも軍備を誇り、何の抵抗もしない他国を侵略し、残虐行為を繰り返した」
「私はこの放蕩(ほうとう)息子がいつか行き詰まり、破滅しないわけはないと思いました。果たして、日本は敗戦によって打ち砕かれました。今日本がなすべきことは、放蕩息子が本心に立ち返り、父に許しを求めてそのもとに帰ったように、国民が1つとなり、今までの生き方、考え方を反省し、ざんげをして新しく出直す以外にありません」
首相はうなずき、手を差し伸べた。
「ラジオを通してあらゆる人にざんげを呼び掛けましょう。老いも若きも、男も女も、職業のいかんを問わず、こぞって過去の思い上がりを改め、平和国家に生きる民としての一歩を始めるように」
その日のうちに通達が出された。この時、米国の宣教師たちが援助を申し出てきたので、賀川はこの「国民総ざんげ運動」を基にして協力してもらうことができた。
その後、彼は請われて「敗戦国の賀川ではなく、世界の良心としての賀川」の資格でマッカーサー元帥に宛てて手紙をしたためることになった。そして、この手紙が元帥の心を動かし、日米間の対立を和らげたのであった。
米国からは外米、重油、薬品などの物資が送られてきて、日本国民の生活が支えられた。こうして、ようやく日本に平和がやってきたのである。
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賀川の事業施設も全て復興し、新たな働き人を得て、さらに力強く前進していった。彼はその後、多くの教会や学校を回って講演を続けたが、1960(昭和35)年4月23日。その使命を全うして天国へと凱旋(がいせん)した。72歳の生涯であった。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。