驚いたことに、食糧を届けるのは、ロドワーからさらに一時間も先のカラコロ村だという。砂漠の中を走ったパジェロが、椰子の木が二、三本しかない村に着くと、ワッという感じで半裸や全裸の子どもが集まってきた。やがて村中総出と思えるくらい、人々が集まり始めた。上半身何も着けていない女性たちも来た。やせて汚れて歯だけが白い。積んであるパンはごくわずかなのにどうするのだろうかと、その多くの群衆の数に不気味ささえ感じた。
賛美が始まり、牧師たちがメッセージを短く語った。そして食糧の分配が始まった。しかし、それは思い出すのも嫌な阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界だった。
牧師たちがパンを配り始める。男たちが手を出す。受け取るとすぐガブリと口に入れる。少年が横から手を出しパンをちぎる。男の手がその子の口を引っぱたき、パンが砂の上に飛び散る。もっと小さい子どもが、砂まじりのパンを口に入れて、すぐ逃げる。喧騒と怒声が飛び交い、パンを配ることができない。大人たちが棒切れで思い切り子どもたちを引っぱたき、追い払おうとする。
幼いころの種子島での貧しい生活を思い出し、その惨めさがダブって、パンを配る元気もなくなった。とにかく一刻も早くその場を立ち去りたかった。砂の上に立って呆然とたたずみ、彼らはなぜ食糧も水も緑もない砂漠のような所にしがみつくのかと非難がましく考えていた。トルカナへ来る途中の穀倉地帯、食糧がいっぱいのキタレ市場や店、おいしい香りが漂うパン工場。数時間も走れば良いのだ・・・。人は文明に慣れると、すべてをその尺度で計ってしまう。私もいつしか、自らは傍観者となり、問題を指摘するだけで何もしない愚かさに陥ってしまった。子どもの時は確かに貧しかった。さつまいもだけの生活。肉も魚も食べない、食べられない。いのちをしのぐのがやっとの日々だったことは事実だ。今は違うのに、目の前の現実と重なり、逃げだしたい気持ちがした。
「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」(マタイ14:16)との声が聞こえた。私は一瞬で打ち消した。「主よ、いやです。ほかの人にお言いつけください。ここへは何の気なしについてきただけです」。何度打ち消しても、「あなたの手で、あの人たちに何か食べる物をあげなさい」との声は執拗だった。「主よ、分かりました。従います。ここへ食糧を運べば良いのですね、運べば」と、まるで挑戦するような応答しかできない。目を開けると、食糧配布は終わっていた。私は現地の牧師に、「この村には毎年、私が食糧を届けます」と告白し、宣言していた。
もう後には引けないなと思った。悲壮感すらにじむ決断だった。はたして継続できるだろうかという恐れもあったし、何より生理的には来たくなかったのだ。
帰り道はパジェロの運転を任され、時速一三〇キロ以上でぶっ飛ばした。日本だととんでもない速度だが、ここではスピード違反ではない。初めて走る道は怖かったが、少しでも早くこの悲惨な土地を離れたいという意識が急がせたのかも知れない。
車内の者は眠っている。朝は早かったし、帰りの道も遠い。サバンナに沈む大きな夕日が、やけに美しく寂しかった。涙が自然にほほを伝い、サバンナの夕風が涙を吹き飛ばすように過ぎていく。
あの日以来、毎年トルカナのカラコロ村をトラックいっぱいの食糧を積んでは訪れている。五つのパンと二匹の魚が五〇〇〇人を養ったような奇跡が、トルカナの人々に起こるまではと祈りながら・・・。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)