鉄格子の中で心の支えになったのは、キリストにある信仰だった。刑務所での恐るべき体験を情熱的に語る2人のスーダン人牧師は、死刑宣告を受ける可能性もあったという。
ピーター・イェン牧師とマイケル・ヤット牧師は、囚人仲間に福音を伝え、死に直面する人々をキリストに導いた。
2人は2014年12月、スーダンで拘束され、15年1月、政治的スパイ活動、「イスラム教信仰に対する嫌がらせ」、宗派間の憎悪扇情、憲法システムの弱体化など、6件の罪状を言い渡された。そして15年夏、首都ハルツームで聴取を受けた後に釈放された。
2人は慈善団体「オープン・ドアーズ」によるインタビューの中で、2人を投獄した者たちが「豊かな祝福をもたらしてくれた」と語り、英クリスチャントゥデイの面会にもためらいなく応じた。
イェン氏は非キリスト教家庭で育ったが、少年時代に友人と教会に通い、神への信頼が育まれたという。しかしある時、商店で盗みを働いたと濡れ衣を着せられた。「私は心が荒れてしまい、主の忠実さを疑いました。しかし、村に戻ると真犯人が捕まっていて、自白していたことを知ったのです。その経験を通して、私は神に信頼すること学びました。またそれは、主が生きて働いておられることの証しにもなりました。その時以来、私は信仰を持ち続けています」
イェン氏は福音長老教会の牧師となり、ヤット氏と多文化伝道の働きに従事し、内戦時はハルツームに遣わされた。
イェン氏は、教会指導者として伝道と弟子訓練に励んだ。シャリア法を実践するイスラム教国でそのような働きをすれば、危険にさらされることは承知の上だった。イスラム信仰から離れる者は、背教者への罰として殺される恐れがある。
ヤット氏が14年12月に逮捕されたとき、イェン氏が宗教省の事務所に出向き、ヤット氏について問い合せたところ、治安当局が関係者であることを察知したため、イェン氏自身も逮捕されてしまった。
ハルツームにあるコベル刑務所では、ヤット氏と別の監房に入れられ、イスラム教徒を改宗させた罪に問われた。
「私は(当局に)、自分は牧師なので、どこであろうと福音を語ることは義務なのだと話しました。しかし伝道した後、最終的に人をつくり変えるのは神がなさることだと言いました。当局側は、福音を聞いた人物のリストに載っている者たちは名前が変わっていないので、今でもイスラム教徒だと主張しました。しかし私は、クリスチャンにとって重要なのは名前ではなく、心の変化だと言いました」
「約4時間後、私はコベル刑務所の薄暗い独房に連れていかれ、そこで3カ月過ごしました。私が一番つらかったのは、この期間でした。マイケルが同じ刑務所内にいるかどうか、分からなかったからです」
「人と接触できる唯一の機会は、食事が運ばれてきたとき、ドアの差し入れ口が開くときだけでした。聖書を読むことも、他の書籍を読むことも禁じられていました」
「尋問に連れ出されたときは、目隠しをされました。目隠しが外されると、4人の兵士が私に向かって銃を構えていました。彼らは私に、スパイになるよう強要しました」
2人はその後、別の刑務所に移され、そこに2カ月間収容された。そこでは、縦横の長さが2メートルと6メートルの大きさの監房の中に、最大20人も詰め込まれた。
「室内の暑さは耐え難いものでした。監房が狭過ぎて、私たちは座ることができませんでした。食べる物は自費で買わなかければなりませんでしたが、往々にして代金を余分に請求されました。しかし時々、愛する者たちと話すことができました。そこの良かった点は、聖書が手に入ったので囚人仲間に伝道できたことです」
2人はその後、正式な命令により、ハルツーム近郊のオムドゥルマン刑務所に移された。
「3000人の囚人が収容されている建物の中には、教会がありました。私たちにとって、そこは宣教地でした。マイケル牧師と私は看守から許可を得て、順番で説教しました。そこの看守たちは、私たちにとてもよくしてくれました。しかし1人の外国人が刑務所にやって来て、刑務所の写真を撮っていたのが見つかってしまいました。そのため、看守たちの多くは入れ替えられてしまいました。(新しい)看守たちは、私たちは間もなく移動になるので、今すぐ持ち物を全て回収するよう命じました」
そして、2人はコベル刑務所に連れ戻された。
「看守は聖書を没収し、私たちの足を鎖につなぎました。鎖は2週間付けたままにされ、その間私たちは、服を着たままシャワーを浴びました。鎖につながれたままでは服を脱げなかったからです。入浴のために毎日1時間与えられましたが、それ以外は監房から出ることができませんでした。私たちは聖書を返してほしいと看守に頼み込み、誰にも伝道しないという条件でようやく同意してもらえました」
「マイケルと私は一晩だけ同じ監房にいましたが、その後は別々になってしまい、入浴の1時間だけしか会うことができませんでした」
「この刑務所は、とても厳しい環境にありました。暑さのために汗びっしょりになり、シャツから汗を絞り出せるほどでした。しかし私にとってそこは最善の場所となり、喜ばしい期間になりました。なぜかというと、私は小さな監房に入れられていたため、全ての囚人に伝道できる機会があったのです」
「囚人のほとんどがイスラム教徒でした。彼らは、私が刑務所に入れられた理由を尋ねてきました。説教者であるが故に私は死刑になるのだと彼らに話すと、彼らは『あなたは殺されようとしているのに、なぜそんなに喜んでいるのだ』と言いました」
「そう尋ねられたことは、私が天国やキリストについて話すきっかけになりました。囚人たちは衝撃を受け、もっと知りたがりました。囚人仲間に伝道していることが看守に知れると、いつも彼らは私たちを別の監房に移しました。しかし、私たちは気にしませんでした。なぜなら移されることによって、ほとんど全ての囚人たちに接触できたからです。主は御心を成し遂げる方法を持っておられ、罰のつもりでそうしている看守すら、用いることができたのです」
2人は神の御手に信頼するようになった。
「私たちは、主が私たちを解放するか、それとも死ぬことになるかについては、主に委ねることにしました。結果は全て主の御手の中です。私たちは、信仰によって主の御心に信頼しました」
「裁判官が45分間の判決文を読み上げたとき、私たちは平安のうちにそこに座わり、どうなるかを待ち望みました。裁判官は、私たちに対する当局の取り扱いを批判しました。明記されている24時間を越えて拘束し続け、外部との連絡を遮断した状況に置き続け、逮捕令状もなしに自宅に押し掛けたからです。裁判官が無罪を宣告したとき、私は夢を見ているのかと思いました。自分の耳が信じられませんでした。私はマイケルの方を向き、『裁判官は僕たちが無罪だと言ったのかい?』と疑いながら尋ねました。マイケルは、その通りだと確証してくれました」(続く)
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