神様は、私たちにどのような人間関係を求められておられるのでしょう。
これまで14回にわたって「受難週と復活『互いに愛し合う教会』の誕生物語」について述べてまいりましたが、あらためて、初代の教会では、弟子たちをはじめとする教会の人たちがどのような人間関係を築いていたのか、その一端を見いだしていきたいと思います。
神が望み語られた人間関係
キリストは弟子たちに、神が望まれる人間関係を語られました。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)
イエスは、弟子たちが「互いに愛し合う」関係、また、お互いがそのような者になるよう告げられました。しかも、その愛し合い方は「わたしがあなたがたを愛したように」と言われました。
イエスがまず弟子たちを愛し続けました。そして、それと同じように弟子たちがお互いに愛し合うことをイエスは告げられました。
けれども、それは実際、どのような愛なのでしょう。それは弟子たちに、どのように実現したのでしょう。それは聖書のどこに記されているのでしょう。
注目する必要のあるルカの福音書の冒頭の記録
初代の教会の姿は、新約聖書の「使徒の働き」「コリント人への手紙」「ヨハネの手紙」など、ルカ、パウロ、ペテロ、ヨハネの書簡などに記されています。そこには弟子たちの活動の姿が数多く記録されています。
けれども、福音書の中でルカの福音書の冒頭にも、初代の教会の活動の姿が書き表されていました。
「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます」(ルカ1:1~4)
この文は、ルカが社会的に地位のあったと思われるテオピロに、これから紹介するイエス・キリストの物語の執筆経緯を知らせた部分です。しかし、ここにこそ、初代教会の弟子たち、信徒たちの交わりの豊かさと「あなたがたは互いに愛し合いなさい」とのキリストの言葉の実現した姿が見えてくるのではないかと思われます。
そのことをお話しする前に、弟子たちの人間関係を見ていきます。
キリストが十字架にかかる前の弟子たちの姿
キリストが十字架にかかられるまでの弟子たちは、お互い何度も言い争ったことが記されています。
「イエスはそれに気づいて言われた。『あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか』(マタイ16:8)
「イエスは、家に入った後、弟子たちに質問された。『道で何を論じ合っていたのですか。」彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである』」(マルコ9:33、34)
「さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった」(ルカ9:46)
「また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった」(ルカ22:24)
「ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。イエスが彼女に、『どんな願いですか』と言われると、彼女は言った。『私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。』・・・このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた」(マタイ20:20~24)
「弟子たちがイエスのところに来て言った。『それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか』」(マタイ18:1)
「誰が一番偉いのか」ということは、彼らの大きな関心事でしたから、お互いが優劣を競い合い「俺が一番偉い」と思い、相手を見下げ、とてもではありませんが「互いに愛し合う」関係であったとは言えなかったと思われます。
そこでは、お互いを比較し合い、自分の弱さや愚かさは非難の的になってしまうので、正直に自分のことをお互いに話し合うことなどできなかったのではと考えられます。
極めつけはペテロの放った言葉でした。
「ペテロがイエスに答えて言った。『たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません』」(マタイ26:33)
ペテロは、弟子たちの中で自分が一番キリストの従者だと思い込み、他の弟子たちを見下していました。
誕生間もない教会で弟子たちとルカたちが取り組んできたこと
イエスが十字架にかかられるまでの弟子たちの関係を心に留めながら、今度はルカの福音書の1章1節から4節に目を向けてみましょう。
福音書の記者の1人であるルカは、キリストの弟子たちが話し伝えたことを、伝えられた「そのとおり」に、自らが書き上げていきました。
「初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います」
「初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々」とは、キリストの弟子たちのことと思われます。「記事にまとめて書き上げようと、すでに試みて」いた「多くの人」の中に、キリストの史実の物語を記す作業を始めていたマタイ、マルコ、ヨハネも含まれていたのでしょう。
そして「初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が」「私たちに伝えた」とあります。つまり、福音書に記されている物語は、キリストの弟子たちが「話したこと」でした。
ペテロやヨハネ、アンデレ、トマスたちが、イエス・キリストと自分たちの関わりを話していたのです。それを12弟子ではなかったルカが聞き、彼は綿密に時系列に書き記していったのです。
しかし、福音書に記されている内容はといえば、弟子たち自身が誇れるようなものは少なく、むしろ、彼らがイエスの言葉を理解できなかったこと、神の守りを信じられず恐れたこと、弟子たち同士で争い合ったこと、イエスを見捨てて逃げてしまったこと、「イエスを知らない」と言ってしまったこと、イエスの復活が信じられなかったことなどでした。
それは、なぜでしょう。
「初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えた」
つまり、ペテロやヨハネたち、キリストの弟子たちが、そのようなことまで自ら語ったからでした。
驚くべき出来事
ここで、今日、私たちは驚くことを発見します。
かつては「誰が一番偉いのか」と優劣を競い合っていた者たちが、自分の弱さや愚かさ、不信仰、そしてイエスを裏切っことを正直に話している者になっていた、ということです。
福音書は、神がマタイやルカを選び、聖霊の働きにより彼らが用いられ、書き記されていったものですが、同時に、弟子たちが正直に語ったことによって書き記されたものでもあったのです。
彼らは知恵に富み、力があり、愛情深く、正直で、信仰に優れていたわけではありませんでした。福音書は、彼らの武勇伝、輝かしい功績が記されたものでもありませんでした。
むしろ、人間的に見れば、人に知られたくないこと、聞かれたくないこと、隠しておきたいことが、弟子たち自身によって語られ、それをルカたちが聞き、聞いた者たちも弟子たちの言動を非難することも見下げることもなく、そのままを大切なこととして受け止め、記されたものだったのでしょう。
福音書は、神の絶対的な主権の下で記述されたものであることを私は信じますが、人の愚かさや失敗を、話し手も聞き手も、そのまま受け止められたからこそ、また誕生したとも言えるのではないでしょうか。
福音書が記されることとなったこの経緯・プロセスは、教会とは何か、「互いに愛し合う」とはどういうことなのかを聖書から見極めていくために、とても大切なことを教えてくれるのではないかと思うのです。
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