イエスは十字架につるされず、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが代わりに十字架に掛けられて死んだとするなど、イスラム教的な視点からイエス・キリストを描いた映画が、キリスト教界で議論を呼んでいる。
注目の映画「メシア(原題:The Messiah)」は、イラン人映画監督のネーダー・タレザデフ氏が脚本、製作、監督を務め、イラン人俳優が出演、撮影もイラン国内で行われた。コーランのほか、キリスト教の正典としては扱われず、イスラム教の創始者ムハンマドが登場するバルナバの福音書をもとに、イスラム教徒が思い描くイエスの姿を表現している。異教間の対話促進に貢献するとして、ローマで開かれた宗教現代映画祭(Religion Today Film Festival)でも受賞している。
かつては敬虔なイスラム教徒で、現在は米南西バプテスト神学校・南西カレッジ(TCS)学部長を務めるエミル・カナー教授は、同映画をきっかけに、イエスの十字架上の死に対する両者の評価を見比べることを勧めている。
「コーランによれば、イエスはいつ(十字架から)降ろされたのか」、「なぜ、弟子たちは、これまで従ってきた方が十字架で置き換えられていることに気づかなかったのか」、「なぜ、イエスの母は息子が十字架にいないことに気づかなかったのか」、「弟子や(イエスの母)マリアを含め群集を欺き、イエスが十字架に掛けられたと思わさせたるアラーの意図とは何か」。カナー教授は、映画を見て生じる様々な疑問について、自らに問いかけてみることを勧めた。
「(映画を見た)イスラム教徒とキリスト教徒は恐らく、コーランは歴史上の有名な出来事の一つについて、わずかな推測だけしか提供していないが、聖書は歴史的な出来事について、細部まで行き届いた情報を与えていると知るであろう」。歴史学者でもあるカナー教授は「人々が宗教問題について再び真剣に話し合う新たな機会である」と語り、結論として映画は歓迎されるべきものとした。
米雑誌「バラエティ・マガジン」によれば、映画の大半は西欧で見られるのと同じく、イエスを白人、茶髪の人、奇跡を行う人として描いている。しかし、映画の終盤ではイスカリオテのユダが奇跡的にイエスの姿に代わり、十字架に掛けられるというように、イスラム教の視点で描かれている。
タレザデフ氏はCNNに対して、「彼(イエス)は神の子ではないし、神の子でありえない。彼は預言者であり、十字架に掛けられていず、代わりに誰かが掛けられたのだ」と、自らのイスラム教信仰の立場から語った。
「あなたが、人々に(キリスト教的イエスを)見せたとしても、彼らは(それが誰かを)知らない。イランのイスラム教徒の90%近くは、このことを知らないのだ」。タレザデフ氏は映画を作った目的について、イスラム教徒とキリスト教徒両者のイエスへの信仰における共通点と相違点を示し、ここ数年対立し合っている両者の間に対話をもたらすことだと語る。
米リバティー大学の哲学神学科学科長のグアリー・R・ハーバマス教授は、まだ映画を見てはいないというが、イスラム教がイエスに対して「非常に敬意的」だと言う。ハーバマス教授は、コーランにイエスに関する節が約100節あることを指摘。「良くないことは、彼(イエス)が神の子ではない、十字架で死んではいない、死から復活していないということだ。」「良いことは、彼が偉大な預言者であり、罪なき方であり、処女から生まれ、奇跡を行ったというだ」と語った。
タレザデフ氏は、同映画を04年に大ヒットしたカトリック信徒であるメル・ギブソンの作品「パッション」に対するイスラム教からの答えだと見ている。タレザデフ氏は、ギブソン氏の作品については賞賛しているが、内容は「間違え」だと主張している。
「バラエティ・マガジン」によれば、映画「メシア」は、出演者総勢1000人以上とイランで最も大規模な映画の一つ。イスラム教、キリスト教両方の視点でイエスを描いた初めての作品で、イラン国内の放映はすでに始まっている。