【CJC=東京】教皇フランシスコは5日、バチカン(ローマ教皇庁)のサン・ピエトロで新聖人2人の列聖式を行った。広場は式典に参列する多くの信徒たちでいっぱいになった。
列聖式で、新たに聖人の列に加えられたのは、「無原罪の聖母修道会」創立者イエス・マリアのスタニスラオ神父(ポーランド出身)と「ブリジッタ修道会」創立者のエリザベス・ヘッセルブラド修道女(スウェーデン出身)。
バチカン放送(日本語電子版)によると、教皇フランシスコ司式による列聖式ミサは、枢機卿40人、司教30人が共同司式した。ポーランド・クラコフの大司教スタニスラオ・ジビッチ枢機卿やスウェーデン・ストックホルムのアンデルス・アルボレリウス司教の姿もあった。
ミサ中の説教で、教皇は信仰の核心でもある「苦しみと死に対する神の勝利」をテーマとして語った。
「私たちはいつもどこでも、私たちの中にキリストの復活の力が示されるよう、私たちの主イエス・キリストのご受難に深く一致していなければなりません」「今日聖人の列に加えられた2人の新聖人たちも、苦しみや苦難を前にして逃げ去ることなく、聖母マリアのようにキリストの十字架に深く一致しました。そして、彼らにおいてキリストの復活の力が完全に現れました」
聖エリザベス・ヘッセルブラドは1870年にスウェーデンのプロテスタントの家庭に誕生、18歳の時、米国に移住、そこで重い病気にかかったが奇跡的に回復した後、ニューヨークの貧しい病人たちの世話に献身し、次第にカトリック信仰に近づき、改宗。
その後ローマに移り、聖ブリジッタのローマでの家を訪問した後、彼女自身が「ブリジッタ会」を創立。第2次世界大戦中には迫害に苦しむユダヤ人たちを保護し、最も貧しい人々への奉仕に身をささげた。1957年、ローマで死去した。
イエス・マリアの聖スタニスラオは1631年ポーランドで生まれ、30歳の時、司祭に叙階。聖マリアの無原罪の教義の宣言の200年前に無原罪の聖母の名を戴く修道会を創立し、特に貧しい人々や疎外されている人々の信仰促進のために働いた。1701年に死去した。