「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。使徒言行録八章4にある言葉です。
エルサレム教会に対する迫害が起こった時のことです。迫害というマイナスゆえ「散って行」かざるをえない。しかし、そのことがさらに広く遠くへ福音が伝えられるプラス面をもたらすことになったというのです。マイナスとマイナスが掛け合わされてプラスになったというのです。
しかもこの劇的変化を告げる場面を「さて」とさりげなく書いています。「さて」という短い接続詞オウンは英語ではThereforeですから、「だから、従って、そんなわけで」ということでしょう。
ステファノの殉教、それを合図に起こった大迫害、そしてやむなき離散、逃避行。だから「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」というのです。
いつも同じように、福音を告げ知らせながら巡り歩いていく、このさりげなさ、平常心がサマリア伝道へと続いていくのです。
実に強かです。まさに「折が良くても悪くても」み言葉を伝えていく(2テモテ四章2)ことに使命、命の使い方を徹底させている感じそのものです。
私の好きな諺の一つにメイド・イン・エジプトでこういうのがあります。「ナイル河にぶち込まれても、魚を咬えて出てくる」。いいですね、こういうのは。
お前なんか死んじまえとばかりぶち込まれる。そうかよ、まあ折角だから魚を咬えて出てきた。凄い迫力です。でも泳げなきゃダメですね。こう格好良く行くためには。
苦難、患難、困難の中で鍛えられ、福音の真理に改めて目覚めさせられて行った人々によって伝道戦線は切開されてきたのです。
しかし、人間の根性、努力がそうさせたのではありません。マイナスをプラスに変え給うは聖霊の働きそのものなのです。
(C)教文館
山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。