福島原発事故による広域避難世帯の支援を続けるボランティア団体「きらきら星ネット」主催のトーク&ミニライブ「福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を―5年たった今こそ、私たちにできることをさがそう―」が7日、聖イグナチオ教会で開催された。
福島から東京へと避難してきたシンガー、Yukariさんと、福島のお母さんたちの声を記録するライター、棚澤明子さんを通して、福島原発事故で被災した福島の「お母さん」たちの声を聞き、今何ができるのかを考える機会を持った。
Yukariさんと棚澤明子さんは、棚澤さんが、福島のお母さんたちを取材する中で知り合い、これまで多くの時間を一緒に過ごしてきた親友同士だ。この日の対談は2部構成で行われ、1部では、震災発生からこれまでを振り返り、体験したことや感じたことを述べ、2部では、棚澤さんの著書『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』を中心に、原発事故によって福島の人たちがどういう問題に直面し、今なお苦しんでいるのかを語った。
2人の娘の母でもあるYukariさんは、震災前、いわき市のレストランの専属シンガーとして活躍していた。震災当日、子どもと家にいたYukariさんは、最初何が起きたのか分からなかったという。
外に飛び出す人たちを見て、初めて「大変なことになった」と思い、その場にいる人たちと「これ以上のことが起きないように」と願うだけだったと当時を振り返った。また、この時実家まで6時間かけて車で送ってくれた人がいたが、いまだにそれが誰なのか分からないのだという。
Yukariさんの住んでいたいわき市は、避難指示区域外であるため、Yukariさんは区域外避難者もしくは自主避難者と呼ばれる。Yukariさんも含め、福島を出て避難している人たちの多くが、「先に逃げてしまってごめんね」という気持ちを5年たっても抱えたままだと話す。
さらに、同じ3・11の被害者でありながら、「津波」での被災者と「原発」での被災者は違うと話し、福島の被災者が他県にはない複雑な状況にあることを明かした。
Yukariさんの話を受け、棚澤さんは、福島県内でも政府が決めた避難区域の境界線によって差が生まれ、コミュニティーの崩壊が起きていることを伝えた。また、「自主避難者」という呼び方についても、実際には放射線量が高く、住み続けるのが危険なために泣く泣く逃げたのに、「自主避難者」というと「国が大丈夫だと言っているのに、勝手に好きで逃げている人」というニュアンスが感じられ、多くの人は違和感を覚えるという。棚橋さんは、「強制避難区域外から避難してきた」という意味で「区域外避難者」という言葉を使っていることを説明した。
一方「区域外避難」となった地域の家庭内でも「とどまる、避難する」をめぐり、わだかまりが生まれている。棚澤さんは、福島では3世代同居が多く、家の中で「しがらみ」があることを述べ、「放射能から子どもを守ることは、親を捨てることになり、親のそばにいることは、子どもを危険にさらすことになる。とどまるか、避難するかは、親と子どもを両天秤にかけて決めることになる」という現状を語った。
続いて、政府の掲げる放射能の安全基準がチェルノブイリ原発事故と比べ、かなり高い数値であることを指摘した。 Yukariさんは、「後からいろいろな事実が出てくる。国の言うことは信じられないから、海外からの情報を確認するようにしている」と述べ、甲状腺がんへの対応の不備についても怒りをにじませた。
棚澤さんも、甲状腺がんが多発している現状を話し、「福島のお母さんたちが、子どもを検診に連れていくときの気持ちを考えるとやりきれない。子どもががんかもしれない、こんな不安を抱えて苦しんでいる思いを分かってもらいたい」と訴えた。
福島県が2020年までに避難者をゼロにすると言っていることについても棚澤さんは、「要するに、区外避難者は認めないということ。強制避難者も解除するので戻れということで、避難者という存在をなくそうとしている。まさに『棄民』の政策だ」と話す。「福島のお母さんは、『避難』か『被ばく』の狭間で悩み、普通でない選択肢に苦しんでいる」と語った。
棚澤さんが、福島のお母さんの声を伝えなければと思ったのは4年前。避難指示区域外から西東京の団地に、子どもを連れて避難してきたお母さんとの出会いがきっかけだ。被害者なのに、周囲からバッシングを受け、被災者だということを口にできないという現実を知り、本当に驚いたという。
また、取材で話を聞きに行っても、マスコミに対する警戒心がものすごく強く、子どもを守るときに威嚇する獣のようだったと当時を振り返った。棚澤さん自身も周囲から「この仕事をするのは危ない、何かあったときに子どもを守れるのか」と何度も忠告を受け、出版社もなかなか見つからなかったという。それでも、今言うべきことだと信じて続けてきたと話した。
Yukariさんは、「世界では、福島の原発事故を見て、原発はやめようと言っているのに、どうして当事者である日本はやめられないのか」と訴え、「そんなことを考えイライラしながらも、普通の日常が流れていくことに怖さを感じる」と、今の生活の中で感じていることを率直に語った。
昨年初めて福島の小学校でコンサートを行ったとき、小学6年の女の子に「私たちのことを忘れないでほしい」と言われたことを明かした。「福島の問題は、言いたくても言えないという状況の中で、その言葉が心にズシンときた」と述べ、12歳の子どもにこんな言葉を言わせてはいけないと思ったと語った。
10年後も同じ内容でコンサートはしたくないと言うYukariさんは、「福島のことを、家で、職場で、学校で、あらゆる場所で、日常会話の中でも話していってほしい」と話す。
「福島の問題は自分が死んだ後も残るのだと考えると、今この時に皆と問題を共にして、つながっておくしかないと思っている」と力を込め、1人でも多くの人に福島の声が伝わり「つながって」いくことを願った。
棚澤さんは、「私がママ友に伝えたいのは『聞いたことを話すだけで変わる』ということ。皆、『重い問題』と尻込みしているだけで、決して無関心ではない。今日も一声掛けただけでこんなにたくさんのママ友が会場に来てくれた」と会場を見渡した。
「私の役割は、自分の周りの空気を変えて、福島のお母さんたちの味方を1人でも増やすことだと思っている」「福島から声を上げるのが難しいのであれば、東京から上げればいい」と話した。
この日は、Yukariさんによるミニライブも行われた。披露したのは「今でも」「マイライフ」「風のながれ」の3曲。Yukariさんは震災当初、音楽が何になるのかと思ったが、学校で子どもたちと一緒に歌ったりする中で、音楽は人を出会わせ、人と人をつなげるとあらためて感じたという。
震災後、日本全国のみならず、昨年はフランスにも渡り、歌で思いを伝え、大絶賛を受けた。今年も6月から8月にかけてフランスツアーを行う予定だ。
棚澤さんのフェイスブックを見て参加したという50代の女性は、「震災と原発の両方の問題に苦しむ福島の現状を直接聞くことができ、参加して本当によかった。Yukariさんの歌は、体を突き抜ける感じで素晴らしかった」と感想を語った。
■ 棚澤明子著『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年3月、彩流社)