「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる」(詩篇25:12)
新約聖書ルカの福音書12章16節から21節に、次のような例え話があります。
「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし、神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」
この金持ちの「愚かさ」はどこにあるのでしょうか。それは「ピントはずれの価値観」です。
彼は大豊作の作物を、新しい倉を建ててその中に十分に蓄えました。そして、彼は自分の魂に言いました。「これでもう安心だ、さあ食べて、飲んで、楽しもう」。これは単なる「独り言」「心の中のつぶやき」ではなく、彼自身の人生観そのものです。
物がたくさんたまったことで、魂(命)の安全までも保障されたのだと思ったのです。彼は「物で魂の安全を買うことはできない」という大原則を忘れていたのです。ですから、神から「愚か者」と叱責されたのです。
「愚か者」とは「感覚を失った者」という意味です。彼は人生における正しい感覚を失ってしまっていたのです。
神は彼に言われました。「今夜お前の人生は終わる」。「今夜」とは、宴会の真っ最中です。「もう大丈夫、安心だ、楽しもう」と言っているときです。
「今夜」つまり、人生の終わりは誰にでもやって来ます。しかし、いつ来るかは誰にも分かりません。
NHK BS放送の「アクターズ・スタジオ・インタビュー」という番組に毎回、世界的な映画スターたちが出演します。そして10の質問を受けますが、最後の質問は次のようなものです。
「もし天国が存在するなら、あなたは死後、神に何と言ってほしいですか」。あなたがこう質問されたら、何と答えますか。まさか「この愚か者め」ではないはずです。
ではここで、イエスが言った「神の前に富む者」とは、どんな人のことでしょうか。それは、「肉体の死」ということに出会っても、失わないものを持っている人です。
死ぬときに手放さねばならないものをいくらたくさん持っていても、それは本当の豊かさではありません。死を越えてもなおその手に残るもの、それは永遠の神との豊かな関係です。イエス・キリストを救い主として信じる者に与えられる永遠の命です。
この例え話は、本当に大切なものを見失っている人に、自分の魂を取り戻してほしいと願われるイエスの愛からほとばしり出た例え話です。
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