アフリカのケニアは、もう一つの宣教地である。ひょっとすると、少年時代に読んだ「少年ケニア」が心の隅に残っていたのかも知れない。
一九八八年に学院に入学してきた下川樹也兄は、アフリカに取りつかれた神学生だった。入学する前、写真家としてケニアを訪れた彼は、ファインダーを通して見るケニアの現実に圧倒された。それはサファリでも、ナイロビの高層ビルでもなかった。彼は難民村の悲惨な状態をひたすら撮り続けた。半裸か全裸でお腹の飛び出た飢餓状態の子どもの姿、ゴミためかと思うような住まい。レンズ越しに見る彼の目は涙で曇り、もうプロの写真家の冷徹な目を失っていた。
旅程の最後の日、彼はマラリアにかかり、高熱を出した。死を覚悟し、祈る声すら出ない彼の心に、聖書のことばが聞こえてきた。
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちをすてるべきです。(Iヨハネ3:16)
思えば子どものころからガキ大将で、少年時代は不良で悪いことばかりしてきた。高校生の時、誘われて出かけた教会でも、集会の邪魔ばかりしていた。追い出されそうになったが、永吉牧師の寛容なとりなしで、イエス・キリストの十字架の救いに感動し、クリスチャンとなった。感激屋の彼は情熱をキリストにぶつけていった。「キリストのためなら、喜んでいのちを捨てる」、それが彼の口癖となった。仲間の木村由智と話す時も、どのようにしてキリストのために死ねるかが話題の中心だった。
今、マラリアでうなされながら聞く聖書のことばは、彼の生涯を完全に変えてしまっていた。九死に一生を得た彼は、献身を決意した。すでに結婚し、翼君というかわいい男の子もいた。そんな状況で、前途有望なカメラマンの道を投げ捨て、何の保証もない伝道者の道を選ぶことは不可能へのチャレンジだった。
彼が涙を流しながらアフリカのことを語るのを聞く時、私の目にもなぜか涙があった。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)