「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒4:12)
ある統計によると、10年後は日本の地方の神社の40パーセントが消滅しているだろうといわれています。人口減少、過疎化、限界地域の出現によって維持できなくなってしまうという論拠です。
神社は他の宗教と違い、地域社会との密着が強いと思います。地域社会のお祭りや習慣などの中心でした。また、鎮守の森として、自然保護の要でもありました。神社がなくなるということは山林が荒れ果てるということにもつながると思います。
神道は八百万(やおよろず)の神といわれるぐらい、多神教だから一神教のキリスト教とは相いれないとある関係者から言われたことがあります。私はその方に旧約聖書の天使の話をしました。天使が出現したとき、人々は天使の前にひれ伏したり、拝んだりしています。天使は天の軍勢と表現されるくらい何万という数です。日本の人々が古代から拝んでいるものは、この天使が形を変えたものであって、永遠の神様は一人という考え方はどうでしょうかと提案したことがあります。
ある時、仏教の名僧にイスラム教徒が「あなた方は人が刻んだ像を拝んでいるから偶像礼拝者です。われわれは偶像礼拝者とは話ができません」と言っているのを聞いたことがあります。この名僧は烈火のごとく怒り、「自分たちは偶像礼拝ではない」と言っていました。「手で作った像を拝んでいるように見えるが、実は、像の背後におられる絶対者というか宇宙を拝んでいる」というのです。
ある仏教の高僧とじっくりと話す機会があったのですが、その方は比叡山での千日回峰行(かいほうぎょう)という命がけの修行に二度チャレンジし、二度とも成功したそうです。「いくら修行を積んでも、肉体的には強化され、精神力も少しは増すかもしれませんが、人の救いには何の役にも立ちません」と断言されました。
現在、日本の社会では宗教離れが進んでいます。特に冠婚葬祭やお墓での宗教離れが著しいものがあります。宗教に関係ない結婚式ということで、人前式に移行する方もいらっしゃいます。今度は結婚式そのものをしないで、入籍だけでいいという風潮もあります。
葬儀も宗教とは関わりのないセレモニーが行われ、直葬ということで火葬場へ直行し、火葬だけを行うというやり方も増えてきています。また、持っている墓を維持管理するのが大変ということで、墓仕舞いを行い、お骨は海にまいたり、樹木葬にする方も増えてきています。
戦後の教育が、宗教にほとんど触れないようにしてきたという経緯もあるかもしれません。学校教育の中に特定の宗教を組み込むことは教育法に反すると思います。しかし、宗教者としていかに生きたかという体験談を聞く機会は必要だと思います。仏教、神道、キリスト教、イスラム教、諸宗教の方々の話を聞いて、自分なりにどうするか判断するのは大切だと思います。
できれば、高校のカリキュラムに「結婚講座」を組み込んでくださると、結婚式の形態、夫婦の在り方、結婚の法律問題、家庭のファイナンシャル、出産、育児などを学ぶことで、離婚しない家庭づくりを目指すことができると思います。男女の出会い、結婚などはとても重要な課題であるのに、どこにも具体的に学ぶ機会がないというのは不思議なことかもしれません。
日本の社会の中で、宗教の学びの大切さを発信し続けるときに、イエス・キリスト以外に救いがないということも語る機会が与えられるのではないでしょうか。
「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」(ローマ10:14)
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