本書の序詞「天地無始終、人生有生死」で著者は、「3・11」以後「未来への望みの門は、いったい、どこにあるのだろうか」と問い、本書は「そんな朝露のごとく無常なる〈私〉が、来たりては去るこの世に生きた証としての『信仰』への文学的な旅でもある」と述べている。
「それはまた、旧約の時代から流れつづけるキリスト教の何千年という大河を、日本近代の無教会信仰の基督者・内村鑑三とともに、その水源地へ、根源へ向けて遡(さかのぼ)る、私自身のあまりにも小さな文学的試みにして自由への道でもあろう」と著者は説明している。
帯には「非戦論と無教会の水脈」「一基督者・内村鑑三の生涯と再臨信仰に批評の光をあてる」「ここには困難に満ちた未来社会への永遠の希望が流れている」と記されている。
本書のプロローグ「信仰と希望」で著者は、内村鑑三研究で知られる鈴木範久氏の著書『内村鑑三の人と思想』(岩波書店、2012年)から見えてくる内村鑑三について述べている。その後、日本近代とキリスト教、内村鑑三とキリスト教、霊的回心と贖罪信仰、悲嘆と希望、現世と高尚なる一生涯、信仰と社会、キリスト教と無教会信仰、インマヌエルと福音、復活と再臨について、内村の著書や北村透谷、滝沢克己、椎名麟三などに触れながら論じている。
そして、エピローグで、「貴君(あなた)は一体何です乎(か)?」という問いに対し、著者は内村鑑三に代わって、「私自身のためにも」「私は一基督者である」と答えたいと記し、「ここに、明治維新から日本近代、大正、昭和初期まで、無教会の信仰者として、十字架・復活・再臨信仰に生きた一基督者・内村鑑三の信仰と希望と愛がある」と結んでいる。
著者は神奈川大学常務理事を務める文芸評論家。「千年紀文学」編集人。日本社会文学会、滝沢克己協会会員。「神奈川大学評論」創刊以来編集専門委員を務めている。著書に『椎名麟三の文学と希望―キリスト教文学の誕生』(菁柿堂、2014年)など多数、編著に滝沢克己著『西田哲学の根本問題』(編・解説、こぶし書房、2004年)がある。
小林氏は、19日に関東学院大学で行われたシンポジウムで、「原発と原爆の問題から3・11以後の問題、未来の問題を考えるときに、内村の再臨信仰は大きな希望になり可能性になっていくのではないかと思う。そういう意味では、再臨は今日テーマになっている環境問題、あるいは環境神学、そういう信仰の源にあるものとつながっていくのではないか」と述べている。(関連記事はこちら:「原発・原爆から見たエネルギー・環境問題とキリスト教の役割 関東学院大で『環境神学』シンポジウム開催」)。
本書はそのような再臨信仰を含め、一基督者としての内村鑑三が持つ今日的な意味を考える上でも、興味深い本である。
小林孝吉著『内村鑑三 私は一基督者である』御茶の水書房、2016年1月15日、393ページ、本体4400円(税別)