福音主義信仰に基づく無教会主義を唱え、日本のキリスト教史に大きな足跡を残したキリスト者、内村鑑三。3月28日の没後80年を記念した講演会が同日、東京都目黒区の今井館聖書講堂で開かれた。内坂晃氏(日本基督教団聖天伝道所牧師)と新井明氏(敬和学園大学前学長)が登壇し、関係者ら約120人が参加した。
内坂氏は、贖罪(しょくざい)信仰のあり方について、内村鑑三とその弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)の信仰に触れつつ論じた。
内坂氏は、日本の戦争責任告白をめぐる当時の議論の中で、「イエスの血によってすでに罪が赦されているのに、なぜ(戦争責任告白を)出さなければいけないのか」「(戦争責任告白は)イエスのあがないを無にする」といった意見が教会内であったことに触れ、「キリストの十字架を、まるで罪を消し去る魔法の水のように受け止めている」「そこには人格的な受け止め方が欠落している」と厳しく批判した。
そのうえで、「自分の罪が赦されることにどれほど高価な犠牲が払われたかを知るならば、その者の持つ感謝が謝罪の心を生み出す。その者は、できるだけ神のみ心にかなった歩みをしようと、小さな十字架を背負おうとする」と、内村の説いた贖罪信仰を紹介。「(贖罪信仰は)信じる者を贖罪的な生き方へと押し出すもの」と結論付けた。
また内坂氏は、咸錫憲が朝鮮半島の歴史を贖罪信仰に基づいて解釈した論文を紹介した。その中で咸錫憲は、自国の歩む苦難の歴史を「いばらの王冠」と解釈。自国の使命について、「この不義の荷を怨(うら)みもせず、勇敢に真実に背負うことにある」と述べ、「それを負うことによってわれわれ自身を救い、また世界を救う」と説いた。また、「不義の結果は、それを負う者なくしては決してなくならない」とも語っている。
内坂氏は、咸錫憲が日本の統治時代に投獄されたことにも触れ、「私たちはこれに、どのような言葉を返しうるか」と聴衆に問い掛けた。
さらに内坂氏は、キリストの十字架に見られる「贖罪的生き方」は、キリスト教徒だけに限らず、すべての人のうちに芽生えることを具体的な事例を挙げて紹介。「贖罪は神の創造のみわざ」と語った。
新井氏は、無教会史の中で1960年代以降の第4期が「連帯の時代」と命名されたことを強調。無教会の群れが内部での連帯に加え、教会組織を持つキリスト者とも連帯する必要性を指摘した。
新井氏は、「(無教会の群れも)キリストという大きな体の一部」「(組織ではなく)本当の意味での教会に連なるものとして生きていこうではありませんか」と呼び掛けた。