1.プロゴルファー・中嶋常幸の弟としてゴルフ場を経営
私はプロゴルファー・中嶋常幸の弟です。現在、国内外に4つのゴルフ場を経営しています。1つはすでに売却したため、現在は3つとなっています。これらのゴルフ場は、今は亡き父がバブルの直前からバブル後にかけて造ったものです。
バブルの追い風と、中嶋常幸プロの家族が関係するゴルフ場ということで、会員を募集したところ、高額な会員権が飛ぶように売れた時期がありました。いたって順調なゴルフ場経営のスタートでした。そして、瞬く間に栃木県、福島県、ハワイ、海南島に4つのゴルフ場を完成させました。
2.ゴルフ場の倒産
1995年、父が突然他界し、私がそれらの会社を引き継ぐことになりました。その約5年後に、グループ代表格のゴルフ場に会員預託金償還期が到来し、経営の危機が訪れました。会員保証金の預託期限の到来に伴い、多くの会員が退会を希望し、保証金返還の要求が殺到するようになったのです。しかし、会員募集で集めたお金はゴルフ場の建設で使ってしまい、すべての償還要求には応じることができません。「ゴルフ会員権の市場価格は額面価格を絶対に上回る」という甘い読みがはずれた結果です。
「預けたお金を返してほしい!」と、償還請求が押し寄せるようになりました。中にはその筋と思える人を使って返金を迫ったり、「おまえの子供の通っている学校を知っているんだぞ!」と、脅すような人もいました。大金を預けている会員の立場から考えれば、そのような行動をとられることも当然かと思います。そのうちに50件を超える裁判が起こされ、それらの対応に奔走しました。このような状況の中で必死に頑張りました。
けれども、経営を続けることが難しくなり、裁判所に民事再生の申立てをすることになってしまいました。民事再生法ができて最初の頃の申立てだったことや、有名な中嶋常幸プロの家族が経営するゴルフ場の倒産事件だということで、このニュースは世間に非常に注目されました。栃木県の地域新聞の一面に大々的に掲載されたり、全国のゴルフ雑誌にも大きく載るほどでした。
さて、倒産ということになりますと、まず債権者説明会が行われますが、私にとってはこれが精神的に大変な試練の時でした。何百名という人が集まり、会場の中は重苦しい雰囲気でした。私を睨みつける多くの視線、多くの非難を受けた、長い長い数時間でした。
3.離婚と精神病院入院
そんな中で、一緒に働いていた妻との関係もギクシャクしていきました。今思うと、仕事のストレスや将来の不安を妻にぶつけていました。結局、妻とは離婚し、愛する子供たちとも離れて暮らすことになりました。
幸い、多くの心温かい会員の理解と支援、関係者の協力を得て、民事再生手続は無事に通過し、法律的には一応の決着がつきました。でも、もちろん道義的には依然として大きな借りを抱えています。どんなにがんばっても、個人の力では一生かかっても返すことのできない金額です。そのような意識から、ゴルフ場にいる時はもちろん、街を歩いていても、駅のホームで電車を待っている時でも、ゴルフをしていそうな人を見ると、「この人はうちのメンバーではないかな?」とか、「もしそうだったら失礼があってはいけない」と、いつも恐れてびくびくしていました。
「ああ、これから一生かかっても返せない借財を背負って生きるのか・・・」。そう考えたり、愛する家族とも離れ離れになってしまった寂しさから、自分の中から急速に生きる力が失われていきました。やがて私は夜も眠れなくなりました。ベッドの中で、「この部屋は潜水艦の中なん、誰も来れない深海にいるんだ!」と必死にイメージしたりして、ほんの束の間の安らぎを得たりしていました。食欲もなくなりました。ついに自殺未遂の末、大学病院の精神科病棟に入院することになりました。
入院生活はとても苦しいものでした。厚く重い鉄のドアに仕切られて、ベルト、髭剃りなど、身の回りのものを取り上げられ、病棟から外に出ることもままなりませんでした。なまりのように心は重く、体重はたちまち25キロも減りました。
4.兄の心にある神の愛
入院した翌日、クリスチャンである兄の中嶋常幸夫妻から「聖書」をプレゼントされました。聖書を手に取るのは生まれて初めてで、「神さまの厳しい戒めが書かれているのかな」、くらいにしか思っていませんでした。うつ病の症状が重かったため、私にはそれを読むことができませんでした。それでも、その聖書の初めと終わりのページに、兄夫婦がマジックで大きく書いてくれた、「私の目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」ということばと、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 ということばだけは頭の中に残りました。その時の私には、この聖書のことばを受け入れることはできませんでした。「私はもはや愛されるような価値のある存在ではない。生まれ変われるような立派なことはもう絶対できない」と思い込んでいたからです。
そんな私のいじけた心に関係なく、兄は毎週欠かさずにお見舞いに来てくれました。入院は7月から11月という期間でしたが、その頃はまさにプロゴルフ・ツアー(試合)の真っ最中です。秋口は日本オープンをはじめ、大きな競技会が続きます。それなのに、自宅からも東京からもはるかに遠い、栃木の田舎の病院にまで兄は面会しに来てくれました。日曜日にトーナメントが終わり、水曜日にはプロアマが開催され、翌日からトーナメントが始まります。トーナメントでの疲労や緊張に加え、この練習ラウンドや移動のことを考えると、お見舞いなんか行ける余裕はあるはずがありません。それでも兄は笑顔で来てくれました。
その兄の行動によって、仕事につまずき、家庭も壊れ、生きる気力も失いボロボロになったこととは微塵も関係ない、つまり、私が何をしたかではなく、私の存在そのものへの愛から兄は訪問してくれているのだと感じました。兄の愛によって少しずつ癒され、私の心の氷が融け始めました。私は子どもの頃から兄と接していましたのでよくわかるのですが、今思うと、この時、兄にこのような愛の行動を取らせたのは間違いなく神さまであると確信しています。
5.病棟内での悲鳴事件
さらに私の心の氷を融かす事件が発生しました。今回も神さまの仕業です。それは秋に入った小雨の降る寒い夜のことでした。体重が25キロも落ちると夏でも寒いのです。その日は土曜日ということもあり、多くの患者さんが一時帰宅され、宿直の看護師さんも僅かしかいない静かな夜でした。私は一人きりになった病室で、今までに感じたことのない大きな孤独感に襲われました。まるで「この地球上には自分一人だけしか存在していないのではないか」と思うほどの絶望的な寂しさでした。
私はベッドの中で毛布を頭からかぶって寒さと寂しさのあまり凍えて震えていました。するとその時です。入院してきたばかりの女性の患者さんが、近くの部屋で突然、「ギャー!!!」と、耳をつんざくような大きな声で叫んだのです。その叫び声を聞いて、「あー、人がいてくれた」と、私は本当に慰めを受け、平安を取り戻しました。精神病棟に入院し、しかも 悲鳴をあげるほどの状態は、「最悪!」の状態です。そのような状態の人にも私は慰めを受けました。その人がいてくれたことを私は心から感謝したのです。
6.人の存在そのものの尊さ
この出来事を通しても、「人は存在するだけで、そこにいるだけで価値がある。何かいいものを持ってるとか、他の人よりも何かが優れていることだけに価値があるのではない」ということを知りました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」という聖書のことばは、私たちへの神さまの愛の告白です。そこには、「あなたが優秀だから愛している」とか、「あなたが美人だから愛している、ハンサムだから愛している」などの条件は何も書かれていません。私の存在そのものを、「ありのまま」で神さまは愛してくださっている。そのことを本当に実感できた出来事でした。兄の中島常幸が弟の私に示してくれた愛と、この精神病患者さんの悲鳴事件によって、私は自分の存在そのものを価値あるものとして少しずつ愛せるようになりました。
7.180度の人生転換
だんだん元気になって、聖書も読めるようになりました。聖書のことばは、まるで乾いた土地に降る雨のように私の心に浸み込んで、ゆたかな命の糧となりました。この聖書の神さまに自分の人生をお任せする決心をして、4ヶ月半の入院生活の後、私は退院して間もなくキリスト教の洗礼を受けました。
精神病棟に入院した時は、「自分の人生にはもはや消すことのできない罰点がついた」「自分はもう終わったんだ」と思いました。けれども、この極限の苦悩のおかげで、私の存在そのものを愛してくださる神さまに出会うことができました。自分でも嫌っていた自分自身。臆病で、傲慢で、自己中心な私。そんな私を「そのまま」で「ありのまま」で愛してくださる神さま。いつも一緒にいてくださり、「大丈夫だよ!わたしはいつもあなたと一緒にいるよ!」と励まし、導いてくださる神さまに出会って、私の人生は180度転換しました。
これからは、このすばらしい神さまとその無条件の愛を、多くの人たちに伝えていきたいと思っています。