「ヴ・ナロード!」(民衆の中へ!)、これは革命家たちの合言葉でした。しかし、それは私たちにとっても同じでしょう。
主イエスは群衆の中へ入って行き、教え、宣べ伝え、いやし、その中から個をとらえ、救い、再び群衆の救いのため遣わされました。ですからキリスト者は民衆の中へ入り込んでいくのです。そして地の塩、世の光として用いられていくことを喜びとするのでしょう。
仏教でいう「出世」にあたるのでしょうが、民衆と哀歓を共にしつつ歩む姿勢は負けず劣らず強くあるはずです。
教会に人が来るのを待つだけでなく、こちらから出ていくことです。街に家庭に職場に出てそこでみ名をあがめることこそ私たちの願いに他なりません。
「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」。コヘレトの言葉一一章4にはそうあります。風向きや雲行きばかりを気にして、み言葉の種を蒔かないでいれば、刈り入れが与えられるはずはないのです。
私は幼少の頃、身体が弱く、連鎖反応で意志も弱く常に引き込もり状況でした。そんな中、外へ出よ、声を出せといつも促されていました。いつの間にか、声が大きすぎる、外へ出すぎると言われるほどになっています。教会にとじこもり、自分のことだけに引きこもる有り様を打破するのが伝道への招きです。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という復活の主の号令は私たちの身と心を開かせます(マタイ二八章19―20)。
悪しき教会安全主義は教会エゴイズムとなり、独善性と自己満足の温床となること必至です。み言葉を携え出て行きましょう!
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた種を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(詩編一二六篇5―6)。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。