――福祉現場での同世代が亡くなる体験
私は大学を卒業した後、福祉分野で企画業務の仕事をしていました。乳がんや子宮頸がんの早期発見の啓発イベントの企画、がん患者さんのコミュニティー作り、障がい者の子どものミュージカルの企画などを担当してきました。
医療・福祉関係者の方々とご一緒にお仕事をする中で、「生と死の問題」を否応なく考えさせられました。特にピンクリボンという乳がん検診を促すプロジェクトでの出会いは、私の死生観に大きな影響を与えました。
小さいお子さんを持ちながら、乳がんで余命いくばくもない状態の20代から30代の女性、これからが人生という若さで亡くなった大学生・・・。さまざまな死に臨まれる方やご家族の苦しみ、悲しみに触れました。私自身も子どもを持つ身として、親御さんの心情を思ったら、いたたまれない気持ちでした。
自分の死、自分の生とは何なのか。今、がん患者のご家族のために自分ができることは何か。そこから、大学院で死生学、キリスト教学の研究を続けました。
――人が、その友のために命を捨てる
私の家系は、父方の伯父と母方の曽祖父が海軍兵学校出身です。特に、兵学校で「恩師の時計」を頂いた曽祖父は、公の大義のために身をささげた人でした。幼少期から、故郷のため、兄弟や友のために死んでいった先人たちの話を私は聞かされて育ちました。そのため、私は「誰かのために命をささげるとは」といつも考えているような子どもでした。
私が、小学校低学年の時に、同じ学校の上級生が、車にひかれそうな幼稚園児を、身をていして助けました。自分が上級生と同じ状況だったら、同じように幼児を助けるために車の前に飛び込むことができただろうか。それを考えたら、怖くなりました。
「友のために命を捨てたい」と常日頃から考えながら、一方で、実際に命を捨てることに怖さを感じる自分もいる。この相矛盾した感情が、自分の死生観の原体験としてあります。
その後、大学生の時に、東京大学YMCA寮で、聖書に初めて触れました。そして「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という言葉に出会いました。キリストは、自分は罪がないにもかかわらず、激しい痛みの十字架刑にかかるとき、不満も言わず、神に従順に命を投げ出しました。自分が小さい時から考えていた「人のために命を捨てる」ことを、体を張って実践したイエス・キリストの生き方に、感銘を受けました。
同時に「生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり」「われキリストと共に十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず」というパウロの言葉が胸に迫ってきました。小さい時の「自分の死を賭(と)して、他人を生かす」というテーマが、パウロの生き様に表れていたからです。
――死という究極の締め切りに向かって
私たちが、この地上を去っても、真の故郷である天に戻り、キリストと共にいる。また、終末に私たちは「朽ちないからだ」でよみがえる。そして、地上の生活で何を考え、何をしてきたかが、神に全て知られた上で、天国においてその人の生涯の言動にふさわしい報いが与えられる。
この聖書にある死後の希望は、生かされている自分が、この地上で何をなすべきかの指針になります。自らの死を忘れ「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」(ヤコブ4:13)というのでもない。「どうぜ死ぬなら好き勝手に生きるさ」と自暴自棄になるのでもない。
そうではなく、生かされている今日一日を全力で喜んで働く。神の御心ならば、明日も生き「死という究極の締め切り」に向かって、目の前の自分の役割を神と共に果たしていく。これこそが、私自身の生死を支える土台となっています。
(1)(2)
◇
関智征(せきともゆき)
ブランドニューライフ牧師。東京大学法学部卒業、聖学院大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門は、キリスト教学、死生学。論文に『パウロの「信仰義認論」再考ー「パウロ研究の新しい視点」との対話をとおしてー』など多数。