労苦できることが喜び
本当に体がだるいとか、疲れて苦しいとかであれば休養しなければならないが、これといってすることがないので、ダラダラと過ごしたりしているために、体が鈍ってしまい、体調が悪くなることがある。
特に、退職して、急に自由度が増え、動いているには動いていてもマイペースで、今まで通勤していたときのように、時間に追いかけられることもない生活をするようになると、体調を崩し、最悪病気になる人も多い。
若い時には苦にならなくとも、年とともに体を動かすことが苦になってくるだろう。しかし、そんな中にあっても、私たちはその中に、何らかの意味や意義を見いだし、積極的に体を動かし、労苦するのは良いことだと記されてある。
「神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ」(伝道者の書5:18)
働いても働かなくてもよいというのではない。一生の間、働くことを定められている。どちらでもよいという考え方からは愚痴が出る。前向きに受け止めていくと、労苦の中に健康の秘訣があったりして、喜びや積極的な労働を知る。
「神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた」(伝道者の書5:19)
「働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る」(伝道者の書5:12)
このように、私たちは仕事の中に労働の意義を見いだしたり、有益さを見いだしたりして喜びを得、仕事を終えたときに、また喜びを得ることができる。そしてさらに、神様は私たちを感謝の念で満たしてくれ、生涯を喜びで満たしてくれる。物質や金銭を求めて労苦するのでなく、働くことができるそのことを日々感謝し、喜びを持つことを学ぶ。
「こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ」(伝道者の書5:20)
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