飯能の山キリスト教会(埼玉県飯能市)に新しく併設されたカフェが、昨年12月3日にオープンした。名前は「Café Living Room 61」。若い人たちの性の問題や悩み、中絶の問題に取り組む「逃れの街ミニストリー」を主宰する同教会の中村穣牧師と、妻の恵さんがオーナーを務めるこのカフェは、まさに日常から離れた逃れの街だ。ゆっくりと過ごせる時間、少しの心の休憩、新しい人との出会いがそこにはある。
飯能市街から西に向かう国道70号線の山道を名栗方面に進む。車窓からは、青い水をたたえた穏やかな川や、この地域名産の西川材の材木が積み上げられている、なんとものどかな風景を見ることができる。10キロほど車を走らせると、右手に「61」と書かれた手作りの看板が見えてくる。「61」という数字は、米国ミシシッピ川に沿って南北に伸びるルート61からとったのだという。
カントリーブルースが大好きだという中村牧師によると、ブルースハイウェイとも呼ばれるこの道は、かつて黒人たちが希望を見いだすために神を見上げて歩いた道であり、その道沿いには今でも多くの黒人教会が建っている。中村牧師自身も、ミシシッピにある神学校で学んだが、学生時代に入り浸っていた、今はなき思い出のカフェの名前が「Living Room」だったのだという。
店に近づくと、テイクアウトコーナーで注文する子ども連れの家族が見える。カウンター越しに商品を手渡す恵さんに会釈をしながら横道を通り、水色のドアを開けて店内に入る。オレンジ色の暖かい光と、ストーブの青白い炎が、本当に誰かの家のリビングルームかのようで心安らぐ。
エプロン姿の中村牧師はドリンクを運びながら、ふらっと立ち寄ったという男性客とギター談義に花を咲かせ、恵さんのママ友達や畑仕事友達という女性客たちは、子どもたちに目をやりながら談笑している。子どもたちは、まるで秘密基地のようなロフトスペースで人形遊びをしたり、絵本を読んだりして楽しんでいるが、それでいて騒がしいということが一切ない、不思議と平和な時間が流れている。
オープン初日にもかかわらず、客はひっきりなしにやって来る。「こんなに大変だとは思わなかった」と、ドリンクを担当する中村牧師からはうれしいため息が漏れる。営業時間は、午前10時から日が落ちる午後5時ごろまでとなっているが、閉店時間よりもはるかに早く、一番のお薦めというスコーンは完売してしまった。
「こんなにたくさん焼いていいんですか、と神様に小言を言いながら焼いたのに」と焼き菓子担当の恵さんは驚きを隠せない。だが、カフェが地元の人が集まれる場所になればと思っていた中村牧師にとって、特に地元の人たちが多くやって来たことは、本当に喜ばしいことだったという。
中村牧師家族が、教会開拓のために飯能にやってきたのは、つい2年前のこと。すぐに教会やカフェを始められる準備をした上で、場所探しをしていたが、神の導きを感じたのはなんと「陶芸の釜つき」という普通ではない物件だった。
人を迎え入れる万全の状態にまで整えるには、用意していたリフォーム代以上のお金が掛かることが分かった。そのような場所に住むことをなぜ決意できたのか。
「『逃れの街ミニストリー』を通して悩みをかかえて苦しむ、行き場のない人々と向き合ってきた僕たちに、神様はいつも人の『涙』を見せることによって導きを示してくれてきました。売りに出されたちょうどその日にこの場所を見に来た僕たちは、オーナーのおばあちゃんに『ここを人間の社会復帰の場にしたい』と話した。そしたら彼女は、涙を流して『あなたたちにここを使ってほしい』と言ってくれたんです。このおばあちゃんの救いのためにここに来ようと決めました」
教会は2014年4月に始まったが、十字架も案内の看板も出さず、屋根には穴が開き、床もシロアリに食われてぼろぼろという状態でのスタートだった。だが、1年半が過ぎた今では20人ほどが礼拝に集まるようになった。何らかの問題にぶつかって教会から離れてしまっていたクリスチャンが多いという。教会らしさがないからこそ、「ここが教会なんですか、入りやすいですね」と次々と人が引き寄せられてくる。あの「あばあちゃん」も毎週礼拝に参加してくれている。
人が集まれば礼拝できる教会とは違って、環境を整えなければならないカフェのオープンまでの道のりは、少し長かった。時間にすれば2年弱とそれほど長くはないと思われるかもしれないが、用意していたリフォーム代が足りなくなってしまった中村牧師夫妻に待っていたのは、予想もしていなかったDIY生活だったのだ。
木を切り、カンナをかけ、断熱材を入れて、壁板を張る。コンクリをこねて、ブロックを積み、壁に漆喰を塗り、屋根を付ける。水道管をのばし、蛇口を付け、キッチンを作る。まったく専門知識のなかった中村牧師にとっては、新しい挑戦の連続の日々だった。
しかし、いろいろな人が近くから遠くから、手伝いに来てくれた。大工仕事を通して、近所の人たちとの交流が生まれた。フェイスブックを見て「神様に言われて手伝いに来ました」と遠くから足を運んでくれた人は、1日一緒にペンキを塗ってくれた。ホームレスのおじさんたちが来て床下にもぐり、炭を敷いてくれたこともあった。
カフェの玄関の枕木は、日光オリーブの里(栃木県日光市)の古い階段を再利用した。他の教会が取り壊されたときに譲り受けた窓やトタンも、あたかも最初からそこに備え付けられていたかのように、カフェの空間になじんでいる。青い優しい光を投げかけるレトロなストーブをはじめ、インテリアとして置かれている古道具の数々は「こういうの好きだろう」と業者の人たちを通して、自然と集まってきたものばかり。テーブルの土台に利用した足踏みミシンは、東日本大震災後に福島県いわき市で知り合ったおじいちゃん・おばあちゃんから、「復活させるから」と約束してもらって来た思い出の品だ。
多くの人の祈りの積み重ねと、差し伸べられた助けの手によって、人々を迎え入れる準備が整った。まだ手を加えなくてはいけないところも残っているので、最初は週に1回、木曜日だけの営業と決めた。
オープン初日、多くの人々が訪れるのを見た中村牧師は、「この2年間、自分たちの生活する場所もずっとごちゃごちゃしていて、こんなはずじゃなかったと、つらく思ったこともありました。でも2年という準備期間があったからこそ、『いつ完成するのかしら、大丈夫かしら』と、心配の目で見ていてくれた近所の人たちの心が開かれていったのだと分かりました」と、感慨深げに話した。
これからの具体的なビジョンは見えているのかと聞くと、「いい意味で、これからどうしていこうというのはない」という答えが返ってきた。「どういう人がここに来て、何をするのかは、その時その時神様に導かれるままに、神様の計画のままに私たちは動かされていく。一瞬一瞬を生きていこうと思うけれど、どういうふうに進んでいくのかは、まったく分からないね」と笑う笑顔が印象的だった。そんな中村牧師夫妻に会いに飯能の山まで足を伸ばしてみてはいかがだろうか。
毎週木曜日午前10時から午後5時まで営業。詳細は、フェイスブック専用ページ。問い合わせは、電話:090・8106・3008、メール:[email protected]まで。