家族の愛がほしい
こんな時に、カナダで牧師をしている弟が家族を連れて家に遊びに来ることになりました。彼は4年に一度、休暇をもらって日本に来て、わが家に一週間から10日間ほど泊まるということをしていました。この時の私は相変わらず酒と縁が切れない生活をしていたので、弟の家族が家に泊まるというとき、妻は、「明立さんの家族がいるからお酒を飲むときは外で飲んで来てくださいね。11時過ぎにはみんな寝ているから、その時、帰ってくれば大丈夫よ」と言いました。
弟には女の子が2人いて、牧師ということなのでお金があるわけではなく、住む家も教会だし、車も教会のもの、持ちものは教会の信徒からもらったもの――という生活をしていました。一方、この私には家があり、車もあり、収入もあり、何不自由のない暮らしでしたが、その自分にたった一つ欠けているものがあることに気付きました。それは、家族の中にある愛でした。弟の家族を見るとき、特に持ちものは多いというわけではなかったのですが、家族は何をするのも一緒であり、互いにいたわり合っていました。私にも子どもが2人――男の子と女の子――いるし、優しい妻もいるのですが、家族は家の中でバラバラでした。
私は弟の、その愛ある信仰生活の中にあるたくさんのものをとてもうらやましく思いました。弟の家族は、食事、賛美、語らい――そうしたことを全て4人が一つとなって楽しんでいるのです。私の楽しみといえば、酒やテレビ、そして自分の好きなものはたくさんありますが、このように家族と一緒になって何かを楽しむということはとても苦手でした。それまで私は子どものことはほとんど妻に任せたままでした。彼らが言うことを聞かないときには叱る――ということはありましたが、子どもと一緒にどこかに行くとか、子どもと一緒に何かをするということはなかったのです。
私は、弟が泊まっている間、無性に彼と話がしたくなりました。そして、不思議なことですが、酒を飲んで帰るということよりも、弟の家族を見ていることのほうが何か大きな生き甲斐のように感じられ、とても慰められたのです。そして、後になって気付いたのですが、弟が泊まっている10日間、私には一滴も酒が必要ではありませんでした。
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荘明義(そう・あきよし)
1944年中国・貴州省生まれ。4歳のときに来日、14歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である故・陳建民氏に師事、その3番弟子。田村町四川飯店で修行、16歳で六本木四川飯店副料理長、17歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。33歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、35歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、39歳で中華冷凍食品メーカー(株)大龍専務取締役、その後68歳で商品開発と味作りのコンサルタント、他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。神奈川・横浜華僑基督教会長老。著書に『わが人生と味の道』(イーグレープ)。