ヒュー・バイアス
ヒュー・バイアス(Hugh Byas)は、戦前に英国のタイムズ紙とニューヨーク・タイムズ紙の東京特派員を28年務めた人物である。彼は真珠湾の2カ月後にアメリカで日本論(『Japanese Enemy : His Power & His Vulnerablity』、日本語訳は『敵国日本』刀水書房)を書いた。これは戦時中の米国でベストセラーとなり、何十万部も売れた。
バイアスによると、日本海軍こそは日本の軍事力の中心であった。この海軍の同意がなければ、日本は戦争に突入しなかったはずである。海軍は世界の情勢をよく知っており、日本の工業力の限界、原材料の不足などもよく知っており、とうてい開戦の決断をするなどとは思えなかった。いったい日本海軍はどの時点で、どんな理由で勝算ありという結論に達したのだろうか。そういう疑問が彼の著書の中に幾度も述べられている。
バイアスによれば、日本陸軍は外の世界を知らず、無知と冒険主義、神がかりが特徴である。ところが海軍は違う。その海軍がいつしか陸軍にひきずられてしまった。バイアスは聡明で優秀な日本海軍の軍人を多く知っており、そのような人材のことを考えるにつけ、日本がなぜこの無謀に見える戦争を開始したのか理解できない。
彼はまた、日本における武家政治の伝統にも触れている。日本では武士階級が伝統的に政治に参加してきた。それは現代になっても続いており、陸・海軍の統帥権は総理大臣にはないという構造がある。そのような政治構造で、しかも大きな国力を持っている日本だから他国を侵略して植民地を作ることは容易だったはずである。ところが1890年以前は他国を侵略して植民地を作ろうとは全然しなかった。
それが20世紀になり、かなり遅れてから植民地の獲得を始めようとしているのである。それはいったいなぜだろうか、とも問うている。
また彼はドイツがまず敗北すると予測していた。日本が単独で戦うようになると「米国の大学で教育を受けた人々、宣教師によってクリスチャンになった人々、米国の博愛主義の恩恵を受けた人々」などから「米国こそ良い友人である」との声が上がるようになり、戦争は早めに終結するだろう・・・などとも言っている。
バイアスはさらに付け加えて言うが、300年前に日本は鎖国をしたが、徳川時代のその時すでに領土拡張ができるだけの十分な軍事力を持っていた。
鎖国などせずに、日本は徳川時代の軍事力でフィリピン、インドネシア、またシベリアなどを植民地にできたはずである。ところが、それはやろうとしなかった。なぜだったのだろうか。
このように日本は、植民地を獲得する実力があったのに鎖国した。いわば戸を閉めて寝てしまったのである。それがわざわざ国際情勢の険悪な20世紀になって目を覚まし、自分にも植民地をよこせと要求しているのだ。どうしてだろう。それが、日本についてのバイアスの歴史的な観察である。
そこでこの文章は、バイアスのもっともな疑問に沿って、日本の置かれた歴史的状況を考えていきたい。
日本は216年間の鎖国をした。鎖国の期間は対外的に戦争をしなかった2世紀余であった。鎖国とは、他国を侵略して奪うなどという思想や動機の皆無な期間であった。家康は秀吉の朝鮮半島への出兵の惨状を見て、深く自ら戒めるところがあったのだろうか。彼の幕府は不戦の誓いをもって始められ、その政権は250年間も続き、平和な時代が持続したのである。さて、216年間の鎖国の後、日本は長い眠りから覚め、世界の動きに直接にさらされることとなったが、その時ただちに国際的な現実の厳しさを知らされることとなった。
厳しい現実とは何か。それは欧米のキリスト教国のアジアにおける暴虐、搾取の実態であった。ここにそれらの現実の幾つかを見たい。
そこで、第一章は日本をとりまくアジアの歴史的な事情を略述したい。
また第二章は日本社会の状況を観察し、徳川幕府による鎖国から、開国と維新、さらに太平洋戦争に至るまでの日本の歴史を略述したい。また、日本社会や民俗の性格をよく表現すると思われる事例の幾つかにも触れることとしたい。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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後藤牧人(ごとう・まきと)
1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。