日本宣教の新しいリバイバルのために教団教派を超えて3日間にわたり、共に断食をして祈る「断食祈祷聖会2016」(断食祈祷聖会実行委員会主催、日本福音同盟=JEA協力)が11日、東京都新宿区の単立・東京中央教会で始まった。
初日の開会礼拝では、日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会の井上義実牧師が、ローマ人への手紙10章1節から13節を通してメッセージを取り次いだ。この中で井上氏は、パウロが同胞であるユダヤ人の救いのためにいかに心を砕いて祈っていたかを語り、私たちの祈りの中心も隣人の救いのためとすべきだと話した。その上で、聖書のユダヤ人の熱心さが、真の神、イエスを知らないがゆえに間違った方向に向かっていたことを指摘し、「私たちは、行いによって救われるのではなく、信じることによって救われる。そこに初めて心の平安が得られ、生きる希望を抱くことができる」と説いた。
井上氏は、「全能の神の前では、私たちの行いはちっぽけなものにすぎない」と言い、「主に全てを委ね、主の御名を呼び求め、真心からささげる祈りこそが、主が何よりも私たちに願い求めていること」だと語った。「私たちの行いをはるかに超えた、御名による御力を期待して祈っていきましょう」と話し、隣人、同胞、さらにこの日新成人となった121万人の青年たちのために祈りをささげた。
開会礼拝に続いて、東京基督教大学大学院の岡村直樹教授が、ユース・ミニストリーについて講演を行った。岡村氏は、大学でもユース・ミニストリーの神学と実践について教鞭をとっている。この日は、世代間のギャップなどでなかなか理解されない中高生の心理についても説明を加えつつ、中高生への伝道について具体的に語った。講演は、4つのアウトライン、「ミニストリーの神学的出発点」「ユースの心理発達の課題と信仰成長」「ユース・ミニストリーの六つの大切な事」「私たちにもできること」に沿って進められた。
「ミニストリーの神学的出発点」については、「ミニストリー」の聖書的意味を、主の前にへりくだり、相手の必要を知り、相手を受け止めることだとし、ユース・ミニストリーでも「ユースを知り、ユースにどのように寄り添えるか」が求められると述べた。また、「現在位置を知ること」と「その人の必要を知ること」が重要で、「ただ語るだけでは何も心に届かない」と語った。
「ユースの心理発達の課題と信仰成長」については、ユースの時期は心身共に子どもから大人へと変化し、アイデンティティーが確立される大切な時期で、注意すべき点は、「自分自身を受け入れているか」「自分の価値は誰が決めるのか」だと話した。もし、第三者の目を通してでしか自分の価値を判断できなくなってしまえば、そのままの自分を受け入れることができなくなってしまう。「自分の価値は神様が決める」と確信させ、「神様の目にはあなたは尊い」とのアイデンティティーを持てるよう手伝うことが、ユース・ミニストリーの使命だと述べた。
「ユース・ミニストリーの六つの大切な事」については、大人の態度が重要だと語った。例えば、基本的なキリスト教世界観は、大人の信仰姿勢を見て構築される。また、教会生活がポジティブなものとして習慣化されるのも、大人が喜んで教会に来ているか、大人が中高生を歓迎してくれているかによるという。さらに、自分から聖書を読むように導くためには、大人が喜んで聖書を読む姿を見せているかが重要になると話した。
また、中高生の信仰成長は神の働きだと確認することの大切さも挙げた。信仰成長には多様性があり、自発的な救いの告白を尊重することが大事だという。つまり、大人側の思いを押し付けず、神に委ねることだ。
岡村氏は、教会内で中高生に対する意識を共有することの大切さについても話した。中高生同士の交わりを教会が積極的に後押しするようにし、もし人数が少ない場合は、近隣の教会との連携も考えられるのではないかと提案した。
「私たちにできること」については、まず「笑顔と声掛け」を挙げた。声を掛けて思わしくない反応が返ってきたとしても、積極的に声を掛けてほしいという。「教会に来てくれてうれしいよ」という声掛けは、中高生にとって「自分には居場所がある」と思え、安心できる。実際に中高生だけが集まってレクリエーションをしたり、語り合ったりできる「ユースの居場所」を作ることも提案した。ただ集まるだけではなく、そこにはリーダーが必要となるため、ユース・リーダーの育成も必要になると語った。
最後に岡村氏は、教会の中にいる中高生が取りこぼされないように、また、多くの中高生が教会に来ることができるようにと、中高生のために教会全体で祈っていくことの大切さを強調した。