わたしの恵みは、あなたに十分である
以前生活が苦しかったという人も、状況が良くなって生活が楽になれば、再び苦しかったときのような生活を始めるのは簡単ではありません。また、過去の苦しかったときを簡単に忘れてしまいます。
ある姉妹がお金持ちの家に生まれて何不自由なく暮らし、親の干渉を嫌って堂々と家から出てきて一人暮らしを始めたそうですが、あまりにも生活がつらくて1年ほどしてから実家に戻ったそうです。
このように、恵まれた環境にいた人が劣悪な環境に適応するのは、言うほど簡単ではありません。しかし、使徒パウロは福音のため、イエス・キリストのために苦しみを進んで受け入れました。
彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Ⅱコリント11:23~27)
私たちに信仰があるなら、苦しみを恐れてはなりません。また、自分の弱さに関してあまりにも執着したり、落胆したりしてはなりません。誰にでも弱さはあります。しかし、信仰はこれら全てに打ち勝たせます。
使徒パウロは、イエス・キリストの偉大なる使徒でした。彼は天国に行ってくるという聖なる体験もしました。多くの病人を癒やし、死んだ者を生き返らせました。
しかし、こんな使徒パウロにも、肉体に一つのとげがありました。このとげが何であったかについて、聖書は言及していません。ある人は癲癇(てんかん)だったろうと推測したり、またある人は眼病すなわち目の病気であったろうと言ったりもします。
マルティン・ルター(Martin Luther)は、サタンの攻撃が彼のとげであったとし、ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)は、パウロを最後まで追い掛け回しながら石を投げつけて殺そうとしたユダヤ主義者たちと異端者たちが、彼のとげであったと解釈しました。
何であろうと、そのとげは使徒パウロに何よりも大きな苦痛を与えました。それで彼は、とげを取り除いてくださるよう、3度も切にお祈りしました。ところがそんな時、主は次のようにおっしゃいました。
わたしの恵みは、あなたに十分である。(Ⅱコリント12:9)
パウロはその時、とげの意味を悟りました。自分が今までつらく思っていたとげのおかげで、自分に恵みが臨むのだという事実を知ったのです。もともと、愛する子どもに対する訓練というのは、過酷なものです。本当に愛していれば、適当にやり過ごすことはできないのです。
アメリカの石油王ジョン・ロックフェラー(John Rockefeller)は、とてつもない大金持ちでした。どれほどお金があったことでしょうか。それにもかかわらず、彼は息子を幼い時から徹底的に訓練しました。
マンハッタン銀行総裁となった彼の息子は、自分が幼い時に父親から受けた訓練がどれほどすごかったかを話しています。ロックフェラーは息子に1週間で25セントの小遣いをあげたそうです。韓国ウォンで約400ウォンずつあげたのです。
そして、息子に25セントの小遣いの中から10セントは必ず教会に寄付させ、残りの15セントはどうやって使ったかを記録させました。そして土曜の夜になったらお金をどのように使ったのか、支出内訳をいちいちチェックしました。チェックした後で満足できれば小遣いを5セント増やし、使い方を誤っていたら、小遣いから5セント減らしたそうです。
ロックフェラーにお金がなくてこんなことをしたのではありません。息子を愛していたからです。それで誰よりも強く厳格に経済観念を植え付ける訓練を施したのです。
神様が使徒パウロを愛されたのも、このような父の愛でした。愛されていたから彼を第3の天にまで導かれ、御国の様子を全て見せてくださり(Ⅱコリント12:1~4)、愛されていたから、彼が傲慢(ごうまん)になるのを心配されて、彼の体にとげを与えられたのです。使徒パウロにとってとげは、低くなればなるほど臨む、イエス様の命のようなものでした。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(Ⅱコリント12:9、10)
このような事実を知った使徒パウロは、もうそれ以上とげによる苦しみを訴えず、かえってそのとげを喜ぶようになりました。それだけでなく、自分の弱さを自慢しました。弱いときにこそ、キリストの力が自分を通してさらに完全に現れるという事実を知ったからです。
使徒パウロは絶対肯定の信仰を持って、自分の弱さを通して主に栄光を帰しました。まことに偉大なる信仰の人の姿だとしか言えません。その時から、使徒パウロは「自分の弱さを誇る人」へと変えられました。Ⅱコリント12章9節後半部を見ると、使徒パウロが「キリストの力が私をおおうために」と告白しています。これは、彼が弱さを通して働かれる神様を知るようになったからです。
成功した人たちの話を聞いてみると、共通点が見つかります。成功する人にも弱点は多いけれど、それらの弱点を克服したということです。
聖書の中で神様が用いられた人々を見ても、この事実を知ることができます。彼らは完全な人ではありませんでした。彼らは殺人者であり、姦淫を犯した罪人でした。しかし、神様は、弱さのある人々を呼んでくださり、ご自分の力を現されました。神様は私たちの弱点を通しても働くことを望んでおられます。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』より)
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【書籍紹介】
李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』 2015年5月23日発行 定価1500円+税
苦難の中でも喜べ 思い煩いはこの世に属することである
イエス様は十字架を背負っていくその瞬間も喜んでおられました。肉が裂ける苦しみと死を前にしても、淡々とそれを受け入れ、後悔されませんでした。私たちをあまりにも愛しておられたからです。喜びの霊性とは、そんなイエス様に従っていくことです。イエス様だけで喜び、イエス様だけで満足することを知る霊性です。神様はイエス様のことを指し、神の御旨に従う息子という意味を込めて「これは、わたしの愛する子」(マタイ3:17)と呼びました。すなわち、ただ主お一人だけで喜ぶ人生の姿勢こそが、神の民がこの世で勝利できる秘訣だということです。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』プロローグより)
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李永勲(イ・ヨンフン)
4代続くキリスト教家庭に生まれ、幼い頃から主日学校に通いながらヨイド純福音教会と深い関わりを持ってきた。延世大学および韓世大学、連合神学大学院を卒業し、アメリカのウェストミンスター神学大学院修士課程を修了した後、アメリカのテンプル大学において宗教哲学修士(M.A.)と宗教哲学博士学位(Ph.D)を取得した。アメリカのワシントン純福音第一教会、日本のフルゴスペル東京教会、アメリカのLAナソン純福音教会の担任を務め、国際神学研究院院長、韓世大学教授、アメリカのベテスダ大学総長、ヨイド純福音教会教務担当副牧師などを歴任し、対外的には韓国キリスト教総連合会(CCK)共同会長と韓国キリスト教教会協議会(NCCK)会長などを歴任した。
現在、ヨイド純福音教会の2代目担任牧師として、韓国キリスト教総連合会(CCK)代表会長、キリスト教大韓アッセンブリーズ・オブ・ゴッド総会長、社団法人グッド・ピープル理事長などの活動を行っている。チョー・ヨンギ牧師の牧会と霊性を継承、発展させながら、ペンテコステ聖霊運動と御言葉充満の調和、仕えることと分かち合うことの実践、世界宣教および教会連合運動などに力を注いでいる。
主な著書としては『The Holy Spirit Movement in Korea』『霊的成長の道』『小さきイエスの霊性1・2』『感謝の奇蹟』『信仰の奇蹟』(以上、全て韓国語版)、韓英対訳『十字架の恵み』など多数。訳書としては『ペンサコーラ、奇蹟の現場‐ブラウンズビル教会』『世界ペンテコステ・ホーリネス運動の歴史』などがある。