神の治療に感謝する
今振り返ってみると、ずいぶんいろいろと感謝なことがあった。腸の手術をした時は、しばらく肚(はら)に力が入らず排便に苦労し、数日間ではあったが絶食しなければならなかった。尿道や気道にパイプが通っていたため、不愉快であった。これら全てが正常に機能し出した時は、本当に喜びであり、感謝であった。また腫瘍が大腸と肝臓に見つかり、大腸の方は何とか手術して摘出できたが、肝臓の方は、手のつけようがなかった。それが何とか8カ月後に手術できるようになったことは、本当に感謝なことであった。これらは、感謝の連続以外の何ものでもないことである。
にもかかわらず、良くなって数時間でそういう感謝の念を忘れ、それどころか、肝臓手術後などは、まだこれからも治療せねばならないのかと憂鬱(ゆううつ)な気持ちになったりしていた。治療全般にわたって、全て神様が計画されたものである。治療の方法や、先生方や病院や全て神様が手配してくださっているのである。少々自分の思うところと違うからといって、不平不満が出るとは、何と不信仰なことであろうか。私はすぐに出エジプト記の、目的地を知らされずに40年間の長きにわたって流浪の旅をしたモーセとイスラエル人のことを思った。いつまで? という不安感が募り、不満を持ったり憂鬱になったりする。考えても仕方がないのに、エジプトで飲み食いしたことを思い出す。私の場合は、何も治療しないで過ごせた日々のことを思い出す。あまりにもよく似た人間の習性、感謝のなさ、忘れっぽさ、あぜんとした。と同時に、自分の心のモヤモヤが晴れてスッキリした。神様は私が神の教えに従って歩むかどうかを試みておられる。
「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである」(出エジプト記16:4)
「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか」(出エジプト記16:8)
「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(ルカの福音書10:20)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。