食べ過ぎは罪である
私は大病を患って、いろいろと精神的な面からのみでなく、物質的な面からも考えてみた。いろいろと食事に関して反省もし、改めもした。しかし私は毎日仕事をしていたとはいえ、基本的には妻と同じものを食べていたわけである。もちろん外食の機会があるので、違うこともあるが、基本的には同じである。にもかかわらず、私が病むということは、私の食べ方が悪いのかもしれない。例えば、早く食べるとか、食べ過ぎるとか、外食の時に肉類に偏るとか、油物に偏るとか・・・。
そう思って聖書をひもといてみると、思った通り悪い食習慣についての記述があった。
「私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ』と言わないために」(箴言30:9)
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17:1)
過ぎたる飽食、美食を慎むべき。
「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる」(箴言15:17)
「大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな」(箴言23:20)
過ぎたる肉食を慎むべき。
これらの箴言を読んで思ったのは、特に感じたのは飽食ということであった。戦後の貧しい食糧事情の中で育った者にとって、腹一杯食べて体力を作るのは重要なことであって、出された物を残したりするのは本当にもったいないことであった。私たちの年代は皆そういうふうに教えられてきて、その影響はなかなか拭えない。しかし、今回の病をもって、そういう悪習と決別しなければならない。
「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリント10:31)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。