東京大学名誉教授で上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進氏が14日、立教大学大学院キリスト教学研究科などが主催する特別講演会で講演した。会場に集まった70人を前に「物語のなかの宗教-心をうつ宗教性-」と題して講演した島薗氏は、三つの物語を紹介し、物語に潜む宗教的な生き方、感じ方、考え方から、自分の内なる宗教性を捉え直すことができると話した。
宗教学をはじめ、近代日本宗教史、死生学、生命倫理学、公共哲学の分野で日本を代表する研究者である島薗氏は、講演会の冒頭で自身のユニークな経歴について語った。精神科医の父の跡を継ぐつもりで医学部に入学したが、東大紛争を経験し、その中で自分の生き方に疑問を持ち、医学部から宗教学に変更した。親族にも医師が多く、宗教学に変更した時は母親から猛反対を受け、しばらく口をきいてもらえなかったことも明かし、会場の笑いを誘った。また、島薗氏自身は特定の宗教は持っていないとしながらも、「それでも宗教なしに生きていくことはとても頼りなく、危ういことだという感覚は20前後のころからずっと持っている」と話した。
講演会では、今年1月から3月にかけてNHKラジオ「こころをよむ」で13回にわたって放送したテキストの中から、三つの物語を取り上げた。島薗氏は、物語の中には宗教的な生き方、感じ方、考え方を印象深く教えてくれるものがあると言い、特に宗教性が感じられ感銘を受けるものとして、① 深い悲しみと断念の音調、② 生き方を支える尊いものの(再)認識、③ 自己自身に立ち返ることの苦しみと安らぎ、④ 命の恵みの感受と喜び、⑤ 他者と共にあることがそれらの源泉であることが語られていることを挙げた。
最初に紹介したのは、佐野洋子(1938-2010)の『100万回生きたねこ』で、100万年間生き死にを繰り返し、その間一度も泣いたことのなかったトラ猫が、白猫を好きになり、その白猫を亡くすことで、深い悲しみを知り、初めて「トラ猫らしい」死を迎えることができるという物語だ。この絵本は「絵本の名作」とも呼ばれ、子どもから大人まで高い評価を得ている。
島薗氏は、「作者は宗教を意識しているわけでなく、物語から読み取れる『愛することは悲しみを知ることであり、悲しみは生きがいある生を裏書きするもの』についても、精神科医や心理学者でも教えることはできる」とした上で、「この物語では、『尊いものを知る』ことや、『自己に立ち返る』ことの大切さも語られ、それは宗教が教えてきたものと相通じている」と話した。また、この物語は、「死」が語られることで、ある意味で宗教と深く関わっているという。白猫と巡り合い、悲しみを知り、最後に「生を全うして」死んだトラ猫の中に、「自分はこのように死にたい」という価値観を見いだすことができると語った。
「人の心を打つ物語には、宗教につながる素材が多く含まれているように思う」と言う島薗氏は、この物語の中には、「愛」や「縁」や「慈悲」の大切さ、「他者と共にあることの意義」といったことが含まれていることを解説した。そして、「今日紹介する中で、この絵本が最も宗教を意識していないが、生きていく上での基本的な知恵や倫理を子どもに教えるとき、教師や親のよりどころとしてはふさわしい」と話した。
2番目に紹介したのは、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)の『人魚姫』で、アンデルセンの作品にはキリスト教の枠を超えたエンターテインメント性が見られることや、創作物語を通して実存的なものを投入する物語の手法は、宮沢賢治も影響を受けていることを説明した。『人魚姫』は、人間ではない他の存在(=人魚)が、初めて涙を得ることを通して深い悲しみを知り、永遠の命を見いだすことができたという有名な物語だが、非常に深い慰めが書かれている最後の一節は、子ども向けの絵本では割愛されてしまうため、あまり知られていないのだという。
島薗氏は、アンデルセンの影響を受けている現代のファンタジー文学、J・R・R・トールキンの『指輪物語』やJ・K・ローリングの『ハリーポッター』シリーズなどの人気についても言及した。「宗教が人間から遠ざかり、宗教の中に生きることが難しくなっている今、宗教によって伝えられてきたものを何とか違う形で伝えたいという欲求が、ファンタジー文学とつながり、広く読まれているのではないか」と述べ、「物語を通して宗教的メッセージが伝えられるのかといった欲求と、ファンタジー文学には、何か深い関わりがあるのではないか」と話した。
また、聖書や仏教の聖典には、「たとえ話」と呼ばれるものがあり、宗教の大事な教えを物語の形で教えていることを解説した。難しい教訓を理論的に語るのではなく、物語の形で簡単に教えていくことでストーリーに引き込まれ、共感しながら学ぶことができるのではないかと述べ、物語を聞き、何かを学び、成長することは、物語の持つ大きな働きの一つだと語った。
3番目には深沢七郎(1914-87)の『楢山節考(ならやまぶしこう)』を紹介した。姥捨て伝承を基にした小説で、貧しい山村が舞台となり、そこで山に捨てられることを進んで受け入れる「おりんばあさん」の姿が描かれている。この物語について島薗氏は、「老いた者への冷たい処遇を描くというより、これから生き続けていく人たちへの、老いた者の慈しみを描いた物語といえる」と述べた。「その慈しみは、おりんが自らが受けてきた命の恵みへの感謝の現れであり、そこに潜むおりんの心の力は、宗教こそが伝えてきたもの」と語った。
島薗氏は、これまで歩んできた人生の中で、自分が進む行き先の方向を失った時に、頼りにし求めたのは物語や小説で、「生きた人間が出てくる物語を通して自分を見直す、そういう経験があった」と話した。このことは現在も同じで、原発事故に関わることなど社会的発言をしていく中で、「こんなことを言っているけれど、自分の中でそういうしっかりしたものがあるのか」と確かめたくなるのだという。「そうした時に、物語のところに入って行き、自分の中身をもう一度見直してみたくなる」と物語の持つ力を伝えた。