旧約聖書に登場するソドムとゴモラといえば、その罪が極めて重かったために、神が天から降らせた硫黄の火によって滅ぼされてしまった町のことだ。天からの火で、住んでいた人々から植物まで、ソドムとゴモラ一帯の低地全体は燃え尽きてしまい、現在の死海に沈んだと伝えられてきていた。実際、考古学調査でも、死海の北東部に、ソドムとゴモラがあったとされる有力な10の候補地が発見されている。
その中でも、タルエルハマムという最大規模の遺跡こそが、当時その地方で最大の町であったソドムではないか、とトリニティー・サウスウエスト大学(米ニューメキシコ州)の考古学者スティーブン・コリンズ氏は主張していた。コリンズ氏が2009年までに発表した報告書は、研究者の間でも高い評価を得ていたが、それを裏付けるための発掘調査は、イスラエルとパレスチナの抗争のあおりを受けて、一時期は閉鎖を余儀なくされるなど難航していた。しかし、ここ10年間の発掘作業から、コリンズ氏ら発掘プロジェクトに携わる研究者は、ついにタルエルハマムがソドムであるという確信に至ったという。英ニュースサイト「デイリーメール」などが報じている。
ヨルダン川の東平野にあるタルエルハマムは、存在する地理上の位置が旧約聖書に記述されるソドムの描写と一致している。推定年代は、紀元前1540年から3500年の間にまでさかのぼることができ、青銅器時代における巨大な都市であった。また、ソドムは神によって天からの火で1日のうちに滅ぼされたが、タルエルハマムの発掘物は、この町がある時突然人々に見捨てられ、その700年後に再建されたことを明らかにしているという。
創世記では、神に滅ぼされる前のソドムは、「主の園のように、エジプトの地のように」栄えていたと記されている。タルエルハマムの発掘が2005年に始まるまで、ヨルダン川南部における青銅器時代についての詳細はほとんど知られていなかったが、これまでの発掘から、この大都市が非常に高度な技術を持った社会を形成していたことが分かったという。町は厚さ約5メートル、高さ約10メートルの、門と監視塔を備えた頑丈な城壁に囲まれ、整備された道路や広場があり、交易においても重要な場所であったことが推定される。
青銅器の終わり頃になぜこの町が突然人々によって見捨てられることになったか、それはまだ明らかになっていないが、大きな地震が起こった直後のことではないかと、コリンズ氏は考えている。