小紙の音楽関係の記事が多様な切口から報道されるようになったのに続き、美術関係の記事・コラムへの期待も高まります。そのような状況の中で、美術や芸術の基盤について自問するとき、2人の恩師の言葉を思い出します。
1人は、米ニューイングランドのゴードン神学院で説教学を担当されていたグェイン・ウォールター教授の言葉です。「私たちは神の作品」(エペソ2:10)とは、神の息吹によるポエム・詩の意味であると、ウェールズ人としての誇りと美的感覚に富む先生が、神のポエム・詩としての人間存在の本来的美を強調、一転説教の美しさとは何かを論じられたのです。
もう1人は、上智大学神学部のペトロ・ネメシェギ神父の言葉です。個人指導を受けている際に、「神は真理であり、善であられるばかりでなく、美でもあられる」と、いつものように静かに、しかし「美しき神」とのメッセージが私の存在の奥底に伝わるようにお話になったのです。ネメシェギ先生の言葉は、説教の構造美を求め続ける契機となり原動力となりました。
上記の2人の恩師の実例に見られるように、聖書をメガネに、神の美・美しき神、また神の息吹・ポエムとしての人間存在の美的基盤が深く豊かに掘り下げ、明快に美しく記述するコラムが、本紙に時に応じて登場するように、またその基盤の展開として、人間の多様な芸術家活動が小紙にしばしば報じられるように切望します。
(文・宮村武夫)