シンガポール建国の父と呼ばれるリー・クアンユー元首相が23日未明、同国内の病院で死去した。91歳だった。
リー元首相は、旧英国植民地時代を経て、イデオロギーの違いや人種間対立により、1965年にマレーシアからの分離を余儀なくされたシンガポールを経済大国に導いたことで、大きな功績を残した。
シンガポールのメガチャーチの一つであるニュー・クリエーション・チャーチ(教会員3万1000人)は、「教会として、われわれは国と国民に対して大きな成功と繁栄をもたらした、シンガポールの建国の父たちのうちの一人であるリー・クアンユー氏のご逝去を悼みます。私たちは、この悲しみでいっぱいの困難な時期、リー氏が敬愛していた方々やご家族の上に、主からの慰めと癒やしが与えられ、また主の豊かな祝福とご好意が、彼らと私たちの国の上にこれからも注がれ続けますように祈ります」とする声明を発表した。
「リー氏は、彼の先駆的なリーダーたちと共に、今日のシンガポールの礎を築き、国民のために仕えることに人生の大半をささげました。同氏の知恵と献身は、この小さな国に信じられないほどの成長をもたらしました。彼の存在は、この国にとって実に大きな祝福となりました」
シンガポールのカトリック教会は、リー元首相と彼の家族への特別な祈りを発表した。ウィリアム・ゴー大司教は、リー元首相の息子であるリー・シェンロン現首相とその家族に哀悼の意を送った。ゴー大司教は、「あなたの父は素晴らしい政治家であっただけではない。彼は自分の人生の召しに対し情熱的に生きた、善き誠実な男性であったと同時に、忠実な夫であり、また献身的な父親、それと同時に先見の明のあるリーダーであった」とつづった。
「シンガポールは、国家としての地位を彼に負っているといえます。国家として、私たちは『シンガポール』と呼べることを誇りに思い、全てのことを彼に感謝しています。確かに、シンガポールという国が世界から見て全く相手にされないような時代に、このような偉大なリーダーが与えられたことは、私たちにとって実に多大な祝福でした」
リー元首相とカトリック教会の関係は、必ずしもいつも温かかったわけではない。1987年には、22人のカトリック教会の関係者や社会運動家、専門家たちが、左翼の陰謀に関わったとし逮捕・起訴されたことがある。
リー元首相の独裁主義的ともいわれる厳格なやり方は、多くの反対派を投獄し、また報道統制を行ったことでも有名だ。
リー元首相はかつて、「シンガポールを治める者は、鉄の意思を持っていなければならない、さもなければ諦めることだ。これはただのカードゲームではない。これはあなたと私の命にかかわることなのである」「私には、このため(よい国づくり)に人生の大半をビルの中で過ごし、誰もこのことを扱き下ろす者がいないようにする、という責任があったのです」と、公に語ったこともある。