全ての人が、その人生の中で丸1世紀を見られる機会があるわけではない。それができたごく少数の人のうちの一人は、中国の献身的な神の人であった。
中国最年長の司祭、広州市のイェ・ヤオミン司祭が20日未明、105歳で死去した。
アジアのカトリック系通信社であるUCAN通信によると、教区の信者がイェ司祭を自宅に送ったあと、亡くなったという。イェ司祭の自宅は、広州市仏山の無原罪懐胎教会であった。
イェ司祭の身辺の世話を20年以上にわたってしてきたチェン・ジャニン修道女は、「イェ司祭は、教会が自宅であり、自宅で死ななければならないと私たちに話していました」と述べた。
チェン修道女によると、100歳を超えていたイェ司祭は、亡くなる数週間前まで健康で過ごしていたという。時が近づいたと感じたイェ司祭は病院にいることを拒み、代わりに故郷にある教会へ自分を連れて行くよう願った。
20世紀の初頭1900年代に生まれた中国最年長の司祭は、激動の中国の歴史の生き証人であった。清王朝の滅亡から、内乱の発生、そしてキリスト教の信仰に嫌疑をかける共産党の勃興を目の当たりにした。
イェ司祭の宗教的キャリアは、香港の南中国神学院に入学し、7年間その地に滞在した後の1937年に始まった。司祭に叙階されたのは1948年。当時、中国は混乱の時であった。
その年、共産主義の軍隊が満州を支配下に置き、その翌年には北京、南京、上海もその支配下に陥った。毛沢東が中華人民共和国の樹立を宣言した1949年10月までに、約100万人が殺害された。現在、中国はキリスト教徒への迫害を監視する団体「オープン・ドアーズ」による、キリスト教徒への迫害が激しい国のリスト「ワールド・ウォッチ・リスト」の29位に挙げられている。
共産主義政府は、当時英国の支配下にあった香港の神学院時代の同級生から送られたニュース記事を所持していたとして、イェ司祭を青海省へ追放し、養豚の事業に数年間従事するよう命じた。
UCAN通信によると、迫害されたにもかかわらず、イェ司祭は自身を教会から追放し、養豚に当たらせた人に対して怒りを持ってはいなかったという。
「イェ司祭は、以前ある人に苦しみの中で共産党を憎んだか、と尋ねられました。彼は『いいえ、憎しみはそれ自体罪です』と答えました」と、チェン修道女は語った。
彼の流浪の数年間は、ほとんど彼の信仰をくじくことはなかった。1980年、イェ司祭は再び故郷に足を踏み入れることができた。そして、かなり年を重ねていたが、すぐに仏山の江門教区で宣教を始めた。
親戚がくり返し海外への移住を勧めたが、その願いにイェ司祭は、「中国には司祭が必要です」と答えた。
逃げる代わりに、イェ司祭はそこにとどまり、共産主義者たちが権力を握った後に破壊された教会の再建を手助けすることに忙しく過ごしていた。
イェ司祭は24日、仏山の無原罪懐胎教会に埋葬された。