「それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序の立てられる時まで」(ヘブル9:10)
イエス様による新しい契約、新約の礼拝が立てられるまでは、旧約の中の規定が厳しく、誰も神の前に出ていくことができませんでした。祭司、大祭司にお願いして祈ってもらい、いけにえを捧げてもらう、そういうものでした。旧約では毎年、罪のための捧げ物を持っていきましたが、新約においては、その捧げ物が無くなりました。
「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:11~12)
旧約の人々は手で造った神殿の中での契約、天幕での捧げ物をしていました。今までは幕があって入ることができませんでしたが、その幕はイエス様の十字架によって破られました。ゆえに、私たちはイエス様によって入っていける者となったのです。そして、まことの天に私たちは昇って行ける。アダムの罪のための献金、自分の犯した罪のための献金、いけにえがなくなったのです。それは、イエス様が「永遠の贖い」をなされたからです。私たちは、その素晴らしい恵みを受けているのです。
「もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(ヘブル9:13~14)
動物の血は、外から肉をコーティングして、神の前に行っても死なないという状態で捧げるためでした。しかし、それは肉体がきよめられただけでした。新約の私たちは、私たちの良心、内側まできよめられているのです。
礼拝とは、私たちが「生ける神に仕える」ことです。礼拝の聖書朗読も、メッセージも、献金も、私たちが恵まれようと願うものではなく、神に仕えることなのです。
「そして、ダビデは全集団に向かって、『あなたがたの神、主をほめたたえなさい』と言った。すると全集団は、父祖の神、主をほめたたえ、ひざまずいて、主と王とを礼拝した」(Ⅰ歴代誌29:20)
ほめたたえ、ひざまずく。私たちも神の前にひざまずいて、祈り、賛美し、礼拝をする者になりたいのです。「あなたがたの神、主をほめたたえなさい」とありますが、英語の聖書では「Now bless Yahweh your God!」(さあ、神である主を祝福しなさい)。このように言っているのです。私たちは礼拝に、神を祝福しに来るのです。もちろんその結果、私たちは祝福されます。「すると全集団は、父祖の神、主をほめたたえ」、これも「All the assembly blessed Yahweh, the God of their fathers」(全集団は父なる神、主を祝福した)となっています。
「神様、あなたはすごいですね」と言うことが神をほめたたえることだと思いがちですが、英語の聖書では「神よ、あなたを祝福します」となっています。私たちは、礼拝において祝福をもらう者ではなく、神を祝福する者なのです。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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