「罪人の友 主イエス・キリスト教会」に集う人々は、罪から解放される喜びを心の底から、全身全霊で感じている。時にそれは、平々凡々とした人生を送ってきた者にとって、「とてもじゃないけどかなわない!」と思ってしまうような大きなパワーを感じる。今回は、2年前に「罪友」のメンバーになったという多田慶一さんにインタビューした。
埼玉県草加市に生まれ育った多田さん。幼い頃に、両親が離婚。父親に引き取られ、小学生、中学生時代を草加市で過ごした。高校に入学した直後、夜遊びやけんかなどが原因で少年鑑別所へ。当時は思春期も重なり、父親に対して反抗心むき出しの生活を送っていた。家に帰るのも嫌で嫌でたまらなかった。復学を試みるも、すべてに嫌気が差し、自主退学。家にも帰らず、15歳で当時付き合っていた女性と同棲。「今から考えれば、本当に子どもでしたね。子ども同士が一緒に住んでもうまくいくわけがないんですけどね」と穏やかな笑みを浮かべる。
いろいろな仕事を転々とするが、18歳のときにはキャバクラの店長に。店を切り盛りするポジションにも付いた。しかし、業界の暗黙のルールであった「店の女性と男女関係になってはいけない」のおきてを破ぶり、降格。幹部からは、殴る蹴るなどの暴行も受けた。その女性と逃げるように都内に引っ越すが、引越し後に女性とは音信不通に。
その後、宝石店などの営業もするが、再び夜の世界へ。25歳になる頃には、4店舗ほどを任されるキャバクラの店長になっていた。その頃付き合っていた女性とは真剣に交際し、結婚まで考える仲になった。昼間の仕事を見つけ、真面目に働こうと考えていた。しかし、就職した企業がいわゆる「ブラック企業」だったことを知ると、精神的にダメージを受け、「うつ状態」に。すぐに病院には行かず、闇サイトで販売していた精神安定剤を多量に服用することになる。人も会社も何もかも信じられなくなり、3度の自殺未遂。「神様がこんなことをした僕をも助けてくださったんですね。あの時は、『なんで死ねないんだ!』と思いましたが、今は神様の助けに感謝しています」と多田さん。
家もなく、野宿したこともあった。夜の商売をして、豪遊していたときの面影はもうどこにもなかった。うつ状態はますますひどくなり、対人恐怖症に。人と会うのが億劫でたまらなかったという。さらに、悪魔は多田さんに語り掛けた。「一人でできて、大金が入る仕事」を闇サイトで見つけ、手を染めることになる。架空の銀行口座を巧みに使った詐欺であった。数年で大金を稼ぐことができたが、後に逮捕。この頃、結婚して2人の子どもも授かっていたが、その女性とは獄中離婚。刑が確定したときに、母親からなぜか聖書が送られてきた。「なんでこんなもの?」と思ったが、読み進めていくうちに「これだ!」と思った。
刑務所の中では、進藤龍也牧師の著書『人はかならず、やり直せる』も読んだ。「自分はヤクザではなかったが、犯罪者であることには変わりはない。元犯罪者で、今はイエス様の福音を伝える牧師である進藤先生にはとても興味があった。しかも、自分の住んでいる埼玉県に進藤先生がいると知って、一度行ってみたいなと思っていました」と多田さんは言う。
服役後、2人の子どもを引き取り、介護施設で働くことになった。「今度こそ真面目に働いて、子どもたちを養わなければ・・・」と頭では分かっていたが、気持ちだけが空回りして、再びうつ病を発症。それでも待ったなしの2人の子どもとの生活は続いた。可愛くて、心からの愛情を注いでいた子どもたちだが、「自分と同じ犯罪者になってほしくない」との思いから、ついつい厳しく、その限度を越えていることも気づかずにいた頃、子どもたちの異常な叫び声に気づいた近所の人が通報。多田さんは幼児虐待で再び逮捕された。この時は、罰金刑であったが、最愛の子どもたちは養護施設へ。もう二度と過ちは繰り返してはならないと、今度こそ真剣に聖書を読み、祈っていくうちに心に平安が与えられるようになった。4年前ほど前に草加市内の教会で受洗。その後、川口市にある「罪友」に転会した。
「クリスチャンになってからは、『悔い改め』の日々。今までの人生は反省することばかり。それでも神様は僕を救ってくださった。その喜びは大きいですね。今でも、人混みや多くの人が集う場は苦手ですが、僕は罪が赦された一人として、これからも喜びながら生きていきたい。祈りながら、自分自身も成長したいと思っています」と多田さんは話す。神によって開かされたその目は、とても澄んでいるように見えた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)は、多田さんの心の支えとなっている御言葉だ。「イエス様は、僕を招くために来てくださいました。こんなに心強いことはありませんね」と微笑む。いつの日か、2人の子どもと一緒に聖書を開き、神の御声に従って生活する日が来ることを願っている。