日本ナザレン教団千葉キリスト教会の創立45周年記念特別講演が28日に行なわれ、小児科医で元尼僧の藤井圭子氏が講演した。日本人1000万人の救霊を目標に活動する日本キリスト伝道会のエバンジェリストである藤井氏は、日本の全都道府県はもとより、カナダ、米国、メキシコなど世界各国でも伝道講演を行っている。
広島県呉市で生まれ育った藤井氏。中学3年の時に、近所に住む女性が亡くなった。亡くなった日から、近所では通夜や葬儀の準備が慌ただしく行われ、藤井氏の両親も葬儀に参列した。しかし、その翌日には、街も人も故人を忘れたかのように元通りの生活を始める。その時初めて、「人の命はなんて儚(はかな)いのだ」と思ったという。それから、「なぜ自分は生きているのか」「真理とはどこにあるのか」を追求するようになった。
キリスト教、仏教、その他多くの書籍を読みあさった。当時、藤井氏の周りには、クリスチャンの友達は一人もいなかった。何となく仏教に興味を持ち始め、そのうちのめり込むようになっていった。
広島大学医学部に進学し、医学生としての忙しい毎日が始まった。同時に仏教への探求心も忘れられず、佛教大学の通信学生として仏教学も熱心に学んだ。しかし、藤井氏が探していた「真理」に出会うことはなかった。机上の勉学では「真理」に会うことはないのではと考え、京都で修行に入ることに。すでに医者として歩み始めていたが、髪の毛を剃り落とし、袈裟を着る尼僧になった。粗食を貫き、勉学に励んだ。勉強をすればするほど、「お釈迦様は偉大な存在だ」と思うようになった。
しかし、「それは人間の到達する範囲のもの」で、お経は人間の観念が生んだものではないかと思うようになる。「結局、仏教は人間の理性で作り上げたもので、『絶対真理』ではない」と悟ると、失意のどん底へ。大きな傷を抱えたまま、もう一度小児科医として出直そうと実家のある広島へ戻った。
結婚してほどなく、住んでいた自宅の隣に教会が建てられることになった。住宅地の真ん中に「どうして?」と思ったが、英会話教室なども開かれ、それに興味を持って教会に足を踏み入れた。そのうちに周りの人の勧めで聖書勉強会にも参加した。
そんなある日、藤井氏は犬の散歩中に足を滑らせ、骨折してしまう。しばらくはギブスをはめられ、不自由な生活をすることになった。しかし、以前から妻に対しても子どもたちに対しても愛情表現することなく、優しさを見せることもなかった夫は、妻の療養生活中も態度を変えることはなかった。
松葉杖がないと歩けない身体でやっと家事をこなしていたが、夕方頃、夫が「風呂はまだか?」と言った一言に、猛烈な嫌悪感と今までの不満が一気に爆発した。身体が弱かった夫は入退院を繰り返し、その度に病院勤務の藤井氏は仕事が終わってから夫を毎日見舞い、子どもたちの世話をし、孤軍奮闘していたのだ。
離婚も考え、2人の子どもを連れて実家に帰った。しかし、実家は自宅のすぐ隣。それでも同じ屋根の下にいないだけでも良いと考え、数カ月の間そう過ごした。弟夫婦、厳格な両親に「離婚したい」などと打ち明ければ、どれだけ怒られるだろうと思ったが、正直に告白。すると、両親は「それも良かろう」と言ってくれた。隣で藤井氏の奮闘ぶりをそっと見ていた家族は、離婚に賛成してくれたのだった。
しかし、頭をよぎるのは2人の子ども。父親と離ればなれにさせるのは、やはり心が痛い。「神様に祈ってみよう」と思い、祈ってみた。腹の中に夫への憎悪を抱えたまま。しかし答えは出なかった。
「こんなに祈ってもダメなら、やはりキリスト教もダメか」と思い、「自分には判断するに十分な理性がある」と、それから教会からは離れていった。数カ月経ってからだったが、離婚を思いとどまり、夫のいる自宅へ帰った。夫は子どもたちと自分を歓迎してくれた。
離婚の気持ちを捨てて、もう一度元の生活へ戻ってから数カ月後、今度は夫が体調を崩して入院。勤務後、再び見舞いに通う生活が始まった。勤務が終わって車に乗り込み、入院先に向かおうとすると、「いやだな」という思いが頭を巡る。毎日、毎日、その気持ちを圧しての見舞いだった。藤井氏は「根本的には夫をゆるしてなかったのですね」と、その時のことを話した。このままではいけない。夫をゆるさなければ。偽善に満ちた生活はもういやだと焦っていた。
その頃、ちょうど隣の教会が献堂3周年を迎えた。記念集会があると知ったが、行く気は全くなかった。しかし、不思議なことに二晩続いたその集会に足が向いた。講師が「あなたも今晩、イエス様を信じるなら、どうぞ手を挙げてください。ともに祈りましょう」と招きをした。「自分もイエス様を信じたい」と思ったが、色々な思いが頭を駆け巡る。
「あんなに仏教にのめり込んで、今度はキリスト教か?」と周りに馬鹿にされるのではないか。「一族はみんな仏教徒。葬式も当然、仏式で行われる。私はその時、どうしたらよいのか」など、一瞬でさまざまなことを考え、「これは『さわらぬ神に祟りなし』だな」と思い、手を挙げるのをためらったという。
集会が終わり、参加者は会場を後にしたが、藤井氏は最後まで残っていた。「あぁ、今日も一日何もなかったな」と思っていたそのとき、牧師とすれ違いざまに「先生、私も受け入れてみようと思います」と告白。翌日、夫のところに向かう道は全く苦痛ではなかった。心に平安があった。「修行もしていないのに、こんなに心に平安があるなんて」と喜びに満ちていたと話す。
「求めよ。さらば与えられん」を体感した瞬間だった。一夜のうちに自分を癒し、「助けてください」と清水の舞台から飛び降りるように、イエスのもとに飛び込んでいった自分を、しっかりと受け止めてくれたと実感したという。「中学3年生の時から求めていた『真理』はここにあった。全てはイエス様の中にあったのです」と力強く語った。
その後間もなくして、藤井氏は受洗の恵みにあずかった。しばらくは夫に打ち明けられなかったものの、「大切な話がある」と、受洗したこと、また今までの諸々の思い煩いを告白した。じっと聞き入っていた夫は、気が付くと涙をこぼし、一言「圭子、すまん」と口にした。「いいえ、あなたのおかげで私は救われたのです。感謝していますよ」と話すと、2人で抱き合い、「神様、ありがとう」と感謝をささげた。
「私が夫を選んだのではない。夫が私を選んだのでもない。神様が私たちを選んでくださった」と話す藤井氏。それから2年後に、夫もキリスト者になった。
しかし、夫の体調はその後徐々に悪化。医学的には生きていることさえ不思議なくらいに悪化したある日、夫は少年のような目で藤井氏を見つめると、「I love you」となぜか英語で気持ちを表し、「君と結婚できてよかった」と話した。その数日後、夫は静かに天に召されていった。23年前のことである。
藤井氏は、「今日この場にも、あの日の私のように『あぁ、今日も何もなかった』と思っていらっしゃる方はいませんか?」と会場に呼び掛け、「キリストはあなたを待っておられます」と、力強い言葉で講演を締めくくった。