しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。・・・神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。(使徒の働き1章8節、2章32節~33節)
教会暦でペンテコステは、有名なクリスマスとイースターと並ぶ、3大祝日のひとつです。ペンテコステは50という意味で、過ぎ越しの祭りから50日後の五旬節の日、弟子たちの上に聖霊が降り、エルサレムに教会が誕生しました。聖霊によって弟子が変わっただけでなく教会が誕生した日なので、教会にとって大切な日です。この聖霊降臨がなければ、教会に私たちが集うこともなく、クリスチャンが生き残ることもなかったでしょう。
聖書の神は生きて働いているのですから、この聖霊の恵みに今日、私たちも満たされましょう。あなたはクリスチャンとしての本来の姿を喜んでいますか。品行方正で石頭の真面目人間や、存在感の薄いほんわかした人がクリスチャンではありません。クリスチャン本来のすばらしさを聖書的な価値で見いだしたいのです。
四福音書はイエスの十字架と復活を記し、私たちに罪の清めと永遠の命が与えられることが書かれています。しかし、本当の信仰は、単に神がどんなことを私にしてくれたかだけではなく、また、どれほど自分が良い人になったかということではなく、神との関係性を問うものです。十字架の後、茫然自失して弱かった弟子たちに聖霊が与えられ、イエスと向き合うことができたのです。本物のクリスチャンとして必要な2つの要素を確認しておきましょう。
1.主の証人である
主を信じイエスを証しする一人一人に変えられるのがクリスチャンの本質のひとつです。良い人にならなければという力みは捨てましょう。もちろんイエスと同じ形に変えられたいのですが、洗礼を受けたとたんに聖人になるのではありません。私たちは証し人になるのです。
そのためには、まず、誰のことを証しするか。自分のことを語る必要はありません。イエスが私たちを愛して十字架で罪汚れを清め、死を打ち破って永遠の命を証明された、そのイエスを証しするのです。
そして、イエスのことを人づてではなく、自分で直接イエスを体験しているかどうかが大切です。私たち一人一人はどれほど弱くつまらないものでも、イエスは本当に素晴らしいと証しする者となるのです。
2.聖霊の力を体験している
ここにあるように、聖霊の力は何となく感じているというものではなく、五感の体験を通して働き、私たちの実生活の事実の中で体験できるものです。
人の力や努力、金やコネの力、この世の様々な力を頼りにするだけで、聖霊の力を忘れていないでしょうか。聖霊の力に満たされることが、本来のクリスチャンのあり方です。はっきりわかる形で聖霊は働くのです。ペテロたちは、その実体験を喜びと感謝をもって伝えました。そうすると、人々が集まってきて救われたのです。
何年もクリスチャンでありながら、何か足りないと感じている方。聖霊に満たされることを主に求めませんか。イエスの偉大さを証しさせて下さい、そしてその証しが、人々に喜びをもって伝わっていくように、弟子たちが聖霊の体験によって変えられたように、私もまた変えて下さいと祈りましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。