【CJC=東京】バチカン放送(日本語電子版)によると、3日間にわたる聖地巡礼の最終日の5月26日、教皇は早朝、岩のドームを訪問、次いでイスラム最高評議会の建物内で、イスラム教関係者と会見した。
教皇は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教において尊敬の対象とされるアブラハムがこの地で生き、旅したことを想起、神の呼びかけに常に従順であったアブラハムのように、神が計画される未来に向かって常にわたしたち自身を開いていかなければならないと述べた。
そして、「兄弟姉妹として互いに尊敬し、愛し合い、神の名において誰も暴力を行なうことがないように、平和と正義のために共に働きましょう」とイスラム教関係者に呼びかけた。
教皇は、続いて、ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の遺構、「西の壁」とも呼ばれる「嘆きの壁」に移動した。教皇は自らの手で「主の祈り」をスペイン語で書いた紙を手にしていたが、沈黙の祈りに続いて、この主の祈りを唱え、伝統に従って、祈りを記した紙を壁の隙間に差し込んだ。
この訪問には、教皇の大司教時代からの友人、ブエノスアイレスのユダヤ教指導者とアルゼンチンの諸宗教対話研究所の事務局長を務めるイスラム教指導者の2人が付き添っていた。
教皇は、大統領官邸にシモン・ペレス大統領を表敬訪問。大統領との個人会談に続き、庭園で平和を象徴するオリーブの植樹を行なった。
この後、官邸で、大統領と教皇の公式の挨拶交換が行われた。この中で教皇は、「エルサレムが真に自由の都市であるように」と述べ、全人類の遺産であるそのアイデンティティー、神聖さ、宗教と文化の普遍的価値が輝き渡ることを希望。巡礼者や住民が自由に聖なる場所を訪れ、宗教行事に参加できることを要望した。
そして、平和はすべての人の自由と尊厳を尊重することから生まれると教皇は述べ、平和の追求と尊重ある共存を妨げるすべてのもの、暴力やテロリズム、民族・宗教上の差別と断固として排除しなければならないと強調された。
教皇はベニヤミン・ネタニヤフ首相とも会見、ホロコースト記念館「ヤドバシェム」を訪問された。ペレス大統領、ネタニヤフ首相、エルサレムの主席ラビも参列。強制収容所で餓死したルーマニアの若いユダヤ人女性の手紙の朗読に教皇はじっと聞き入った。ホロコーストの生存者6人と会見した教皇は、一人ひとりの手を取り、言葉を交わされた。この中にはカトリックの家族の中で成長したポーランド人男性もいた。
教皇は、「最後の晩餐の高間」で現地の司教らとミサを行い、3日間にわたる聖地訪問を終えた教皇は、現地時間の夜8時過ぎ、テルアビブ空港を発ち、バチカンに戻った。
教皇は一夜明けた27日午前、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会を訪問、聖母画「サルス・ポプリ・ロマーニ」の祭壇に花を捧げ、聖地巡礼の無事終了を感謝し、祈りを捧げた。