[1]序
今回は前半の締めくくり6章12節から28節、特に23節後半、「彼が神に信頼していたからである」に注目し、死に至るまで忠実な歩みに心を注ぎます。
[2]「王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し」(17節)
(1)大臣や大守たちの訴え
王の反応、しかし結局、両者の名のもとに、ダニエルを封印をもって閉じ込める。
(2)主イエスの場合(マタイ27章62~66節)
66節、「そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした」と、28章2節、「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである」。
ころがされた墓石の上に、主の使いが座っている姿、これこそ復活の事実と勝利を指示しています。
(3)「たとい」
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」
マタイ28章20節、「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」。
[3]「彼が神に信頼していたからである」(23節)
(1)神への信頼の実例
ダニエル3章17、18節を通して。
(2)詩篇118篇8、9節に見る呼び掛け
「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい」
[4]結び
(1)神への信頼と忠実
ヨハネの黙示録2章10節、「死に至るまで忠実でありなさい」。
(2)殉教者の道
『神の栄光のみ―殉教者朱徹牧師伝』(すぐ書房)を通して教えられる基本的なこと。
①復活に与るには死をも受けねばならないとの「覚悟」
②生くるもイエス、死ぬのもイエス、生くるも教会、死ぬのも教会
(3)主イエスの呼び掛けに答えて、主イエスの弟子の道を
「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタイ16章24、25節)
◇
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。