二週連続、都心で大雪が降りました。車に乗っていて、ノーマルタイヤで、タイヤチェーンを持たずに立ち往生したり、スリップ事故を起こしたりする車を見るたびに、批判したいわけではありませんが、運転手の認識の甘さを感じます。
車は、一歩間違うと路上を走る凶器と化してしまいます。たとえ人に怪我をさせなかったとしても、ガードレールを壊してしまったり、立ち往生してしまうなら渋滞を引き起こしたり、何らかの迷惑をかけます。
私は、冬季に雪国に仕事で出かけますので、毎年12月になるとスタッドレスタイヤに履き替えます。それは何度も危ない思いをしたり、大変な思いをした教訓からです。
雪道で、思ったように止まれないで危ない思いをしたことが何度もありますし、雪景色を見ようと思って、レンタカーで山の中に入って雪道でスタックし、4WDの車に面倒をおかけして助けてもらったこともあります。雪の峠道で立ち往生してJAFに救助してもらったこともあります。
車の免許を取った25年くらい前は、タイヤチェーンを持参し、雪が降るとタイヤチェーンを自分で巻いたり外したりしていました。しかし、若い頃はそれを楽しんでいましたが、今はとてもそんな気になれませんし、おまけに、タイヤチェーンが車のホイールハウス内にぶつかって車を傷めてしまいます。
昔はスパイクタイヤ、そして、スパイクタイヤが禁止になってからはスタッドレスタイヤを履くようになりました。
冬用のタイヤを履くようになってからは、雪道が愉しいんですね。そして、安全で安心して運転することができます。アイスバーンでは時々ヒヤッとすることがありますが、それでも今のスタッドレスタイヤはとても信頼できます。
ある真冬に青森に行った時、峠を越えましたが、深雪の中、4WD車ではありましたが、普通に走ることができました。
自転車やバイクでも、これからは安全のためにスタッドレスタイヤの普及を待っています。
また、私たち自身においてもスタッドレスタイヤを履くべきです。人生のスタッドレスタイヤとは、神への信仰と祈りです。このスタッドレスを履くことで、どんな状況の中にあっても、安全に安心して生きていくことができます。
いつ何があり、どんなことが起こるかわからない人生の中で、無神論・無信仰で生きていくことはノーマルタイヤで車に乗っているようなものです。何も問題が起こらない通常の時は問題ありませんが、ひとたび問題が起こると、戸惑い、落ち込み、挫折することになります。
信仰と似た言葉に、信心という言葉があります。信心とは、人間の側で信じる努力をすることです。しかし、信仰とは神から与えられる賜物です。
神から与えられた信仰があるなら、どんな状況の中にあっても歩み続けることができ、死のトンネルを通過することもでき、死の向こうにある復活と天国にまでいくことができます。
「わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です」(ヘブル書10章38~39節)
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23編4節)
「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです」(ペテロ第一の手紙1章5節)
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか』」(ヨハネの福音書11章25~26節)
車を所有し、運転する人は、この時期はスタッドレスタイヤを履いて下さい。また、私たち全員が、人生の冬季に備えて、スタッドレスタイヤを履き、素晴らしい人生を歩み続け、死のトンネルをくぐりぬけ、天国まで一緒に行きましょう。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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