私は牧師ですので、言葉は仕事の道具です。その道具は、人を傷つけたり、殺したりすることもできるし、人を慰め、いやし、生かすこともできます。
きっと、あなたは誰かの言葉で傷ついた経験があるでしょう。誰かの言葉で元気になった経験もあると思います。言葉は、人を生かしも殺しもできる諸刃の剣で、単なる伝達手段以上の潜在的な力を秘めています。
あなたが毎日口にする言葉は、まわりにいる人に影響を与え、環境や運命を変え、明日をつくります。だからこそ、よく吟味して言葉を使いましょう。
次に、言葉にいのちがあるかどうかが、語る内容と同じように大切です。
心にないことでも、良い内容の言葉を語ればそれなりの影響力はあります。しかし、語る言葉の良し悪しとともに、言葉にいのちが込められているかが大切です。
同じ言葉を聞いても、ある人が語る言葉には不思議な力があり、心動かされ、説得されます。しかし、ある人が語る言葉は軽く、心に響かないし、聞きたいとも感じません。なぜでしょうか。
名演説は、必ず強い確信、強い信念を持って語られているものです。その力はどこから来るのでしょう。
神が人間を造られた時、土地のちりで形造り、そこにいのちの息を吹き込まれました。その瞬間、人間の形をした粘土のかたまりが人間になったのです。
人の臨終を見守ったことがある人なら知っていると思います。人が息を引き取る時、最期に「フゥー…」と息を吐き出してから亡くなります。その時まで神のいのちが生かしていたのです。そのいのちに秘密があるようです。
神のいのちはどうしたら与えられるでしょうか。
イエス様を信じて、心から神を求め、神に祈る時に、神のいのちが私たちの中に注がれてきます。
「『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである」(ヨハネの福音書7章38節~39節)
「神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ人への手紙6章23節)
強い確信、強い信念を持って語られる言葉には強い力があります。しかし、そこに人を生かす神のいのちが吹き込まれたらどうなるでしょう。
1.語った通りに素晴らしいことが次々に起こります。
2.人を生かし、自分を生かします。
3.人を動かします。
神に祈り、神のいのちに満たされて一日をスタートしましょう。そして、素晴らしい言葉を語っていきましょう。祝福を祈ります。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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