前立教女学院理事長・中高校長の平塚敬一氏が、キリスト教学校関係者が集まった会合の中で、それぞれのキリスト教学校がキリスト教に基づく教育機関として、入学基準や入学方法、カリキュラムにおいて、「もっとユニークな在り方を検討する時期にきている」と語った。
プロテスタント系のキリスト教学校が加盟するキリスト教学校教育同盟は、第55回学校代表者協議会を明治学院と恵泉女学園で2日間に渡って開催した。2日目には平塚氏が「新しい教育同盟が果たすべき使命」と題して講演。キリスト教に基づく教育を謳っているキリスト教学校だが、「キリスト教に基づく教育とは何か」とその根本を問い直す内容を語った。キリスト教学校教育同盟が、毎月発行している月刊紙「キリスト教学校教育」でその内容を伝えた。
平塚氏は講演で、キリスト教に基づく教育はそれぞれのキリスト教学校が創立以来一貫して掲げて来た根幹だが、「果たしてキリスト教学校は、本当に他の教育方針に優先させて『キリスト教に基づく』教育をしてきたのか」と問いかけた。その上で、少子化により、生徒・学生募集が厳しくなった1980〜90年代には、キリスト教学校も生き残りのために、生徒・学生を集める方策が第一優先となり、キリスト教に基づいた教育を考える余裕を失くしてしまっていたのではないかと指摘した。
また、その時期に開催されたキリスト教に基づく教育を見直そうとする座談会での、齋藤正彦氏による「日本の教育を支配しているのは、競争原理、受験体制で、これがやはり決定的なことで、問題はこのような現状から大胆におりる決断ができるかどうかです」という言葉や、熊沢義宣氏による「キリスト教教育の中では、いわば誰も問題にしなかったような、はずれたようなものを拾ってものにしてきたが、今度は、はみだす勇気がなくなって来たのではないでしょうか」という言葉を言及。「競争原理の中で人間教育が歪められているが、キリスト教学校は、どのような生徒・学生を入学させ、どのような教育をしようとするのか」と問いかけた。
その上で、「入学の基準、方法やカリキュラムに関してキリスト教教育の視点からの、もっとユニークな在り方が検討される時期がきていた」と語った。
講演の最後には、聖書から「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:23〜24)を引用し、「創立当時のキリスト教学校は、決して華やかな脚光を浴びて社会に登場し、大きな学校として認められたわけではない。現在のキリスト教学校で、イエスが自分の生命を賭けて、敗北の勝利を得たように、自分の生命を賭けて、戦って行く覚悟が必要である」と訴えた。